もずく

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もずく

 それにしても、良い時間を過ごしている。  軽やかな音楽が流れ、まばらな客たちからは、時折穏やかな笑い声が小さく聞かれた。  店の照明は落ち着いており、あたたかみのあるオレンジの世界に導かれたような気持になる。  そして、カウンターの向こう側では白山本マスターが、適度に加減した視線をちらちらこちらに向けている。  ブラックコーヒーよ。  これはマイセンだろう。本物かどうかは分からないが、品のあるカップとソーサーがオレンジの照明を受けて煌めいている。そこに讃えられた黒い温かいものは、ふうんと脳に刺激のくる香りを漂わせているのだった。  (コーヒー、コーヒー……)  庶務課で女の子が入れてくれるインスタントとは違うんだよ。  めっちゃくちゃ、旨いじゃないか。何気なくテーブルのメニューを眺めた。  自家焙煎深煎り、豆をひとつひとつ手作業で選別……本物だ、ここは。  マスターが静かにCDを入れ替えた。  波のようなギターが流れてくる。  マスターが黒い瞳で、ちらっとこちらを見て微笑んだ。     
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