もずく

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 ああ、見抜かれている。これくらいの年齢なら、この曲をちょうど青春時代に聴いたはずだろう――リサ・ローブがゆったりと歌い始めたのだった。  静かにマスターがカウンターの内側の丸椅子に腰をかける。  測ったように良い距離だ。威圧感も緊張感もない。だけどお互いの表情は分かる。声も聞こえる。  うでまくりをしたうでを軽く組み、マスターはふっと微笑み、悪いねサボってて、と、言った。  (いやいやいやいやいやいやいや)  なんだなんだなんだこれは。  かたかたかたかたかたかた。  カップを持つ手が震えているじゃないか?  大急ぎで口に運んで飲み下し、ようやく正気を保った。あやうく10秒ルールに触れるところだったぜ。  優しく懐かしいリサ・ローブ、コーヒーの良い匂い、心地よい空間――そして、イケメン。  なにをかいわんや。  (天国や)  と、わたしは思った。  白山本マスターは間違いなく美男子である。  さりげなく見つめる瞳には、魔法にかけられた熱意が込められており、チャンスさえあれば今にもデートに誘ってきそうだった。  そしてわたしは、ごく自然に座り、前髪の間から柔らかくこちらを向いているマスターの横に、サロンエプロンをつけ、髪にゆるいパーマをかけてひとつにまとめ、黒縁メガネをコンタクトにかえた自身の姿を見たような気がしたのだった。     
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