かつて存在したもの

3/5
前へ
/5ページ
次へ
山小屋の外の、茫漠と広がる夜の深淵からそれは呼ぶ。 おうい。おうい。おうい。 もはや聞き間違えでは無かった。 確かに何者かが呼んでいる。 カヅミは起き上がると小屋の戸を開けた。 おうい。おうい・・・。 どうも人間の、男の声らしい。 カヅミは声のする方へ歩み出した。 掟の事は頭からすっかり消えている。 その声は小屋から少し離れた崖の方から聞こえるのだ。 カヅミは白夜の中を駆けた。 崖の縁までくると、下を覗き込んだ。 おうい。おうい。おいう。ほうい。 間違いない。この崖の中頃から声がするのだ。 だがここからではその者の声は聞こえるものの、姿は見えない。 岩が突き出している部分の下から聞こえるようだ。 もしかすれば、仲間の誰かが崖を降りる途中で立ち往生しているのかもしれない。 そう思ったカヅミは小屋に取って返すと縄を持ち出した。 縄の片方を太い樹に括り、もう一方を自分の腰に巻くとカヅミは崖を下り始めた。 「すぐそっちに行く。動くでねえ。」 下に向かってそう呼びかけるが、下からはただ、おういおういおうい、と繰り返されるばかりだ。 カヅミは急いだ。 やがて声のするあたりまで来た。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加