海を彷徨うもの

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徳の高い僧の亡骸を、渡海船という特殊な小舟に乗せて沖まで伴走船が曵いていき、大海に放流するというものだ。後は渡海船は潮の流れに乗ってどこまでも漂流し、やがては海底に沈んでいくという。 だが僧の魂は補陀落へと達し、観音様に死後も仕えるという話だったはずだ。 「だけども、もっと昔は違ったんだ・・・。」 宿の主人はそう言葉を継いだ。 「・・・と申されると?」 「大昔は、生きたまま流してたんだ・・・。」 主人の言葉に重塚は、ははあと頷いた。 「それは捨身(しゃしん)というやつですな。自らの命を捨てて悟りを得ようとする仏教の修行だ。」 「ええ。だけども流された者の中には現世への執着を捨てきれないまま、大海のど真ん中で彷徨いながら死んだ者や、一度は運良く陸に生還したが無理矢理海に叩き込まれた者もいたって云います。本当かどうか知らねえが。」 「・・・。」 重塚は無言のまま猪口を傾けて、ちびりと酒をすすった。 それで、おれの話はこっからなんですが。 そう言って主人は話を続ける。 「あるとき、親父とともに漁に出てました。その日は昼間はいつものようによく晴れてたんですが、夕刻から風が出始めて、急に空が真っ暗になっちまった。慌てて浜へ戻ろうとしましたが、沖に出過ぎてたせいかどうにも方角が分からなくなっちまって・・・。そうしてるうちにもどんどん風は強くなって船を揺らすんです。それでおれもいよいよ覚悟を決めてたんです。それが・・・。」 波の向こうにぼうっと青く光るものが見えたのだという。
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