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「マツバ………」
どこからか名前を呼ばれてふと目を覚ますと、西園寺が心配そうにマツバを覗きこんでいた。
どうやらあのまま気をやってしまっていたらしい。
西園寺越しに蜂巣の天井にある梁が見えてマツバは慌てて起き上がった。
身体を拘束していた縄は解かれ、ずいきも綺麗に片付けられている。
身の回りの世話をする男衆はマツバが呼ばない限り部屋には入ってこない。
つまり、マツバの身体を清めてくれたのは西園寺という事だ。
「申し訳ございません……!」
マツバは畳に額を擦り付けて謝った。
金で買われた身にも関わらず、客を放置して気を失い、あまつさえ後始末もさせてしまうなんて。
「俺がやった事だからね。当然の事をしたまでだ。それに、今日もとても良かったよマツバ」
甘く囁かれて顔がかあっと熱くなる。
「も………もったいない……お言葉です」
俯きながら答えると、西園寺はフッと笑った。
床入りをしている最中の西園寺はマツバが泣いても喚いても容赦なく攻めてくるくせに、それが終わると途端に甘くなり優しくなる。
その上とても紳士だ。
その落差に翻弄されてマツバはいつもわけのわからない息苦しさに襲われる。
「そろそろ帰るよ」
そう言って西園寺がスッと立ち上がる。
マツバはこの瞬間が一番嫌いだ。
行かないでほしい。
そう、言えたらどんなにいいだろう。
柔らかい笑みを浮かべる西園寺を見上げながらマツバは必死に気持ちを押し殺していた。
マツバはここ遊郭で働く『男娼』であり、西園寺はマツバを買う『客』の立場であって、それが変わる事は決してない。
マツバにできることは、せいぜい次にまた西園寺が自分を訪ねて来てくれる事を、他の男に抱かれながら待つ事しかできないのだ。
男衆に促され襖の外に出る西園寺の背中をマツバはいつまでも見つめていた。
end.
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