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香は古賀から呼び出されたが、井上は別件で本部に用事があり、二人で車で本部に向かっている。お陰でこうしてまた短い逢瀬を作ることができた。出かける時刻はそれぞれ少し、ではなくかなり無理して合わせたが――。
車内には穏やかで優しい空気が満ちている。抱き合って欲望を果たしたからこの時間があるのだと思うと、二人ともただの欲求不満だったのだろうか、と思えて気恥ずかしい。二人の間にわだかまりがあると感じたことも、嘘のようだった。
他愛もないことを少々、それからほとんどは事件のことを話しながら、車は順調に県警本部に向かった。せっかく二人きりになっても、二人とも事件のことが頭から離れない。普通の恋人同士ではないかもしれないが、事件の話ばかりの二人もいいな、と香は感じていた。自分たちらしい付き合い方だ、と。
こんな恋人同士がいてもいいはずだ。
あっという間のドライブデートだった。車が本部庁舎の地下駐車場に滑りこむ。井上は車を捜査一課の車両スペースに停めた。
先に香が車を下りると、少し離れたところに停められた黒塗りの国産高級車に乗り込む人影を見つけた。その相手に見つかりたくなくて、香は咄嗟に顔を逸らした。しかし、恋人の刑事は目ざとかった。
「あれ、吉田警務部長だ」
「おお、穂積!」
かつての愛人も、腹が立つほど目ざとかった。吉田はわざわざ車から下りて、香を呼んだ。全身から汗が噴き出しそうだった。
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