おまけ 裏方の巡査部長

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おまけ 裏方の巡査部長

元来彼は、真面目で実直な警察官――とは程遠い。 隙きを見ては仕事をサボり、どれだけ最小限の仕事量で給料を受け取るかばかり考えている、市民からすると中々の不良警官だ。お前らの給料は市民の血税だぞ! とお叱りを受けかねない。 そんなダメ不良警官――小野寺晃司が珍しく夜も更けた荒間署内に残っているのは、当直のためだけでなく、年下の恋人の分の仕事も請け負っているからだ。 別の係の当直が出かけたので人がおらず、灯りも少ない生活安全課のフロア。その真ん中ほどの自席でノートパソコンを開き、大嫌いな書類仕事の最中だ。警察も所詮はお役所である。なにをするにも書類書類――また書類だ。 荒間署内には県内でも有数の歓楽街――北荒間がある。入れ替わりの激しい風俗店は、毎週のように新規開店の店があって、そのたび提出される営業許可申請書類を手早く捌いていく。どれだけサボっていても、ここに来てもう五年近くなるので、意外にもその手際は悪くなかった。書類を捲る乾いた音と、キーボードを打つ音がテンポ良く薄暗いフロアに響く。 「……うっ、あっ、ううぅ〜」 時折交じる低い嗚咽だけが、静寂に包まれたフロアの中で不快だ――。 小野寺はため息をついて席から立ち上がると、生活安全課の端に作られた狭い応接スペースに向かった。途中、給茶機で備え付けの紙コップに冷たい水を注ぎ、それを手にして。 「大丈夫か、上の仮眠室のベッドの方がちゃんと寝れるんじゃねえの」 応接スペースの古いソファには、年下の恋人――堂本大輔が横になって唸っていた。 「……いえ、仮眠室は捜査本部の皆さんが休んでるんで、さすがにそこで酔っぱらいが寝るわけには……うっぷ」 ついさきほど、酔っ払ってその捜査本部の先輩刑事に絡んだくせにそんなことを言うから、苦笑してしまう。酒癖は良くないが、元来真面目な性分なのだ、小野寺の恋人は。ただ真面目すぎるのか、少々変わってもいる。 「そうかよ、でもそんな状態じゃタクシーで帰るのも辛いだろ。ほらもっと水飲め」 「ありがとう、ございますぅ」 ゴソゴソと堂本が起き上がる。小野寺から受け取った紙コップの冷水を一気に飲み干すと、ぷはぁ、と息を吐いた。その息が酒臭くて、思わず顔をしかめた。 堂本は少し前まで、近くの居酒屋で飲んでいた。現在荒間署に設置された捜査本部に来ている、捜査一課管理官――穂積デレク香と、同じく捜査一課三係刑事――井上稜と。 その二人と堂本は説明しづらい因縁がある。というか、一時期小野寺と堂本、そして穂積は三角関係だったのだ。小野寺と堂本が人も羨む相思相愛の恋人同士になってからも、男好きの淫乱管理官はたびたび堂本にチョッカイを出し、それを堂本も満更ではない感じでいるから、小野寺は二人が一緒にいると気が休まらない。 もし堂本が穂積と二人で飲みに行ったとしたら小野寺も怒り狂っただろうが、今日はその場にもう一人刑事がいた。穂積の現在の恋人である井上だ。 穂積に恋人ができて、小野寺としてはこれで堂本に色目を使われずにすむと安心した。のだが、なぜか堂本の方が穂積に恋人ができたことが気に入らず、不満げだ。その相手が井上というのが、さらに許せないらしい。 「なんでそんなに荒れるかね。井上のなにが気に入らないんだ?」 堂本が今でも穂積に気持ちがあるとは思っていない。自分と堂本の間には確かな愛情、信頼関係があると日々実感している。とはいえ、恋人が他の男のことで荒れているのは面白くないが、年上という立場が邪魔して正直に拗ねることはできない。 理解ある大人の恋人のフリを続けるしかないのだ。 「なにがって……井上さんって、いっつもヘラヘラヘラヘラしててなに考えてるかわかんないし……特にイヤなのが、女の人にだらしないところですよ。桂奈さんに会うと必ず合コンしてとか言ってるし、他の女性警官にも可愛いねぇとか彼氏できた? とかセクハラばっかりしてるんですよ? 絶対香さん気分悪いですよ」 井上という男は、堂本の言う通りニヤついて浮ついた印象が強い。それは甘くて濃い顔のせいもあるだろうが、結婚している頃からなぜか遊び人を装うところがあるから、井上をよく知らない人間はそう感じて当然だろう。 「あいつはあれで……初心なんだよ。つうか、女となに話していいかわかんないタイプだな。確か、男三人兄弟の真ん中だったはず。だから……女との距離感が掴めないんだろ。それでもセクハラでウザがられないのは……顔がいいのが幸いしてんだろうな」 女なんて男以上に見た目重視だからな、とは純真な年下の恋人には黙っておく。 「えぇ~、女の人と接するのが苦手って感じはしませんけど。女の人、みんなにモテようと必死って感じ」 「お前……マジで嫉妬じゃねぇよな? 井上に辛辣すぎだろ」 「違います! 嫉妬なんかじゃないですよ。だって香さんと付き合ってるって知る前から、俺、井上さんの女たらしな感じ苦手だったし」 「はいはい、そういうことにしておくよ。でもな、井上はあんなんだけど、結婚してる時は俺が知る限りは浮気なんかしたことないぞ。それに別れたかみさんとは、学生時代からの付き合いなんだし、それって相当一途だろ?」 井上は小野寺の同期で、小野寺が捜査一課にいた時は同じ三係に属した。そのため他の警官よりは井上と親しいし、悪い男ではないと知っている。井上を庇ってやるつもりはないが、的外れな誤解は解いてやりたかった。――井上と穂積が別れたりしたら、意外と浮気性な年下の恋人が心配だという本心はひた隠しにして。 「それはそうなんですけど……なんか香さん、寂しそうなんですもん」 ボーッとしているようで勘の鋭い恋人にハッとさせられる。堂本は他人に興味がないようで、良く見ているのだ、他人を。そんな性分を見抜き、穂積は堂本を捜査本部に参加させたのだろう。 「それは……井上じゃなく、穂積の問題かもしれないだろ? 少なくとも、お前の問題じゃない。お前の彼氏は誰だ?」 勘の良い恋人に、余計なことを気づかせたくない。小野寺は焦り、ふざけた言葉で誤魔化した。 小野寺の冗談はセクハラまがいだが、大分酔いがさめたはずの堂本の頬がうっすら赤くなる。 「……晃司、さんです……」 堂本が紙コップに口をつけ、ボソリと呟く。照れながらも即答されてニヤけそうになったが、年上の体面を保つため、なんとか我慢する。 小野寺がニヤけるのを堪えていると、堂本がジッと小野寺を見つめてきた。その目は酔いのせいか微かに潤んでいる。 「なんだよ」 「……キス、したいな、と思っただけです」 年下の恋人は実は大胆でHだ。小野寺はニヤけた親父面をイケメンの恋人に見せたくなくて、呆れたように笑った。 「俺だってしたいけど……お前、さっき散々吐いてきただろ。俺、そこまでマニアックじゃねぇよ」 そう言うと、堂本は可愛く口を尖らせた。ベタ惚れの年下の恋人にそんな風にされると、小野寺も我慢が利かなくなる。思わず膝を折り、ソファで横になる恋人の額にキスを落とした。その距離でも酒臭かったが、気にならないほど彼が愛しい。 堂本が目を瞬かせ、それから顔を真っ赤にする。 「……井上さんより、晃司さんの方がよっぽどタラシっぽいですよね」 悔しいけど格好いいんだから、と嬉しいことを言って、堂本は真っ赤な顔を両手で隠した。 「とにかく、他人の恋路に首突っ込むなって。お前だってイヤだろ? 俺となんかあって、穂積が口出してきたら」 言ってしまってから、その例えはよろしくなかったと気づく。両手で隠した顔を覗かせた堂本の目が――どこか嬉しそうに輝いていたからだ。 堂本の本心を疑いたくないが、不機嫌になるのは抑えられない。小野寺にメロメロな態度を見せつけた直後に、他の男に浮つく年下の恋人はかなりの曲者だ。実は悪い男に引っかかったんじゃないか、とついに小野寺は仏頂面を隠さなくなった。 「お前、もうかなり酒が抜けたんじゃねぇか? だったらタクシーで帰れよ。で、ちゃんと家で風呂入って寝てこい。明日酒の匂いさせて上に行くわけにはいかねぇだろ」 もっともらしいことを並べ立て、嫉妬の怒りを隠して恋人に帰宅を促す。それは結果的にベストタイミングだった。近くの席の電話が鳴った。こんな時間だから緊急事態だろうと急いで出る。 「……はい、荒間署生活安全課」 『先輩?! なんでケータイ出ないの?!』 小野寺の顔が歪む。自分の携帯電話は離れた自席の机の上にある。マナーモードにもしているので、鳴っていても気づかなかっただけだが、気づいても出たくない相手が固定電話の受話器の向こうで怒鳴っている。 「……すいません、一回切ります」 恋人に電話の相手を悟られたくないので、いつもはしない言い回しで丁寧に受話器を置く。耳障りな金切り声が聞こえた気がしたが、無視だ。 「晃司さん? 電話、いいんですか?」 「……ああ、下の……交通課からだ。下行って話聞いた方が早いだろ。大輔は……タクシー呼ぶか?」 「あ、いえ……駅前まで行けばまだいるだろうから、いいです」 「そっか。じゃあ……間違ってももう一軒寄ったりするなよ? 真っ直ぐ帰れよな」 恋人にきつく言いつけ、小野寺は自席に戻って携帯電話取ると廊下に出た。用もないのに一階に下りるフリをして、途中で辺りを気にしながら電話をかけた。 電話はすぐに繋がった。 『先輩?! なんで勝手に切ったの?! 今から署に戻るからどっか行かないでくださいね!』 電話の向こうでヒステリックに叫ぶのは、上司で高校時代の後輩――穂積だった。   ◇◇◇◇◇
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