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「あー、その話は聞いちゃダメですよ」と三田は答える。
「男の沽券に関わる……いや、股間に関わる話で」
「おいいい!」
聡子は「ああ……そういうこと」と叫ぶ聖から視線をそらす。いくらなんでも男としてあまりにもみじめだ。聖はやるせない思いを無理矢理流すように、グラスに残った酒を一気にあおった。
視界が大きく傾き始めたそのとき、カラカラ……と音を立てて居酒屋の引き戸が開かれた。ひんやりとした空気が足元から競うように滑り込む。
色褪せた臙脂色の暖簾をくぐって現れたのは、背が高く肩幅の広いスーツ姿の男だ。形の良いコート、織り目の細かなストール、スリムな革の手袋、短く整えられた髭――安居酒屋には似合わない、上品な出で立ちだった。
「蔵臼専務! 今日はご出張されていたのでは?」
聡子の声にその場にいた社員が一斉に振り返る。
「予定より早く会議が終わってね。間に合えばと思って来たんだが……」
「皆さんの忘年会に参加したくて、急いで帰ってきたんですよ」
蔵臼の背後から人の良い笑顔が出てきた。専務専属秘書の戸名だ。細身のスーツが身体のラインにぴたりと沿っていて、姿勢の良さが際立つ。
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