第2章 徐々に崩れていく家族

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受験前の懇談の時、母が先生に言った言葉。 「センター試験ってなんですか?」 どんだけ娘に興味ないねん。。。 そのもっと前だろうか、先生と私だけの面談があり。 「お金がないので受かっても行けるか、どうかわかりません。」 そっと先生は、なんかの封筒を出してくれました。奨学金の封筒かな。 誰かあの封筒を見てくれたのだろうか。 父は女は大学なんて行かなくていい。 母はとりあえず話すらできない。 (弟にしか連絡先を教えてないので) 恥ずかしくて、家の状況をどこまで落ちてるか詳しく説明できない私。 ネット環境もその時代はまだいうほど普及してなくて。 私も無知でした。 でも、もしかしたら、みかねた親戚の方が助けてくれるかもしれない。 そんなわけのわからない期待を胸にやってました。 冬休みも、学校、もしくは、大学の食堂などを利用して勉強しました。 いよいよセンター試験前日。 この日は母と父と弟と弟の女の子との4人でパチンコから帰ってきました。 深夜0時前に。 私はそこでご飯を頂くと、他の家ではトンカツとか食べてるんかな?とカップラーメンを与えてもらいすすった記憶があります。 センター試験では母が入試会場である大学まで車で送ってくれました。 そして母はまた、帰ってきませんでした。 それから、私大の一般入試。 もっと勉強したら国公立とか狙えてたのかな。そしたら行けてたのかな?あの家の状況で(弟がずっと女を住ます。二人で学校も行かず、働かずいちゃつく。妊娠中絶やら警察沙汰。家は金がない。母は男に走っている。)勉強なんてできるかよ。。。とまだ子供だった私は周りのせいにしてきました。 しかし、他人が家に入るって言うのはどんだけ嫌か、、、私は身に染みてわかりました。 私大入試では志望校に受かり。 あとは、母と父にかけてみた。 が。。。。 結局無理でした。 母は30万円だけ用意してくれてましたが。 無理でした。 じつは奨学金も公立高校入学した時点で借り入れてようで、返してなかったのかもしれません。 闇金にまで手を出しているのだから、、、。 そういえば、卒業式の日。 校内放送で朝に私の名前が呼ばれました。 「〇〇さん。至急、事務室まできてください。」 行くと。 「○月分の授業料が払われてないので、払ってもらわないと、卒業が認められません。」 「はい。現金でもってきてます。」 という。 今現在、私の息子は16歳。受験生だったときに、公立の授業料みてびっくりした。安いなと。 これを払われんって。。。恥ずかしすぎるやないかと。。。。今になって改めて思います。 受験もおわり、進路もなく。 無気力だったので1週間ただソファーで寝て食べてテレビ見て過ごすという日々を送りました。 父は 「親戚にはお前が大学に落ちたというとけ。」と私に言ってました。 私は 「そんなん言うか!ボケ!」 と言い返しました。 わが家のいいところは、思ったことをそのまま言えるところだったのかもしれません。 こんな父ですが。 母と違い父だけは家に帰ってきてましたし。 なんとなく、住めて。なんとなく、ご飯食べてる。 でもやはり、この当時は、、、家族全員+弟の女の子を恨んでいました。
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