辻占

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 祖父は烏丸一条にある老舗の和菓子屋の先代だった。店名は「とりや」。京都御所から見て酉の方角、西に店舗を構えているから。焼き鳥のうまい居酒屋ではない。  祖父が蹴鞠を始めたのは隠居してからだ。当然いびつな形をした鞠を足で扱うのは至難の技。三回続けられたら大喜びという有り様。小枝にひもでくくった鞠を飽きることなく蹴っていたその孫が祖父を超えるまで時間はかからなかった。教えられることがのうなった、とおぐしを撫でながら細い目をほころばせるばかりだった。  その祖父が亡くなった。翌年日本で行われたワールドカップを見ることなく。  四十九日が明け、練習に現れた孫の顔は、狐面をかぶせたように変わり果てていた。顔は青白く、ふっくらとしていた頬はこけ、目の縁は赤く、細い目はつり上がっていた。  鞠をくくりつけた木の下を離れ、祖父おさがりの鳳の水干に藤色の袴をまとっては庭に立つようになった。会費は祖父が向こう三年間前払いで納めていた分でまかなえた。  蹴鞠は一度滅んでおり、同時に様々な曲(技)も失われている。  鞠庭に立った孫は、それらの曲を次々と再現してみせたのだ。無論誰に教えられたでもないその動きを見ては文献をあたり、あれはこれのことではないかと推測した。  またサッカーも始めたようだった。全国大会に出場した写真が「とりや」にも飾られている。     
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