花菖蒲(前半)

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「またアフロがやかましいねん」 「あの手入れを怠った松のようなおつむのおなごでござりまするな」  二月のセレクションに鞠を持って行ったので、成通の頭にはあの日千スタにいた全員の顔が入っている。 「すぐ怒鳴るし、キレるし、おっかないねん」  ちょっとでもミスしようものならすぐ雷が落ちる。京都にあんな物言いをする指導者はいなかった。杏木より上手に蹴れる指導者などいなかったし、あまり厳しく言えば子供が辞めてしまう。子供はそういう弱腰を、大人よりも容易く見破る。  葛飾プリンセーザ監督、菅原真澄は違う。少しでも走るべきところを走らなければ雷を落とした。 「ジズーって言わはるからそんなにほめんでも、と思たら地蔵やて」  当時世界最高峰の選手だったジネディーヌ・ジダンのことである。  立ち止まってボールを受け、パスを出したら棒立ちの杏木を動かない石の仏と評した。もっともこれは菅原の口ぐせのようなもので、持久走についていけないとすぐにこの言葉が飛んでくる。 「そのようなやかましき者の戯言聞き流せばよろしい」 「監督やもん、仕方ないやん」 「かんとく、とはなんでござりまするか?」  蹴鞠に監督はいない。鞠の下で人はみな平等であるという考え方だ。 「そのような者におもねることはござりまするまいて」 「そんなんしたら試合に出られへん」 「二の座、三の座に出たらよろしい」 「二試合目も三試合目も出られへんねん」  もっとも今の杏木はそれ以前の問題なのだが。
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