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「おいクソパンダ!いつまでやってんだ、そんなもん食べたって美味しくねーぞ!!さっさと帰り支度をしやがれ!!」
_「「……ムスー」」
………?
パンダの爪が俺の方を指差し、セレネに何か訴えている。
何故かパンダと言葉を交わしているような素振りを見せたセレネは、仏頂面の眉のしわを増やして俺の方に向いた。
「………まさかな。バカなことを」
…?
俺に直接何か聞くわけでもなく呟いてプイッと俺に背を見せる。示しあわせたようにパンダの差し出した手の上に乗り、白い色の面積が大半の大きい背中に乗り移った。
おい、なんだよ。
「別に」
モソモソとした丸み体型のパンダの背中に股がりながら、セレネはハッと生意気に鼻を鳴らし、切傷のついた腕の血を拭いながら俺に言った。
「今日はご苦労。こんなクソパンダ一匹で厄介な事に巻き込んだが、何かあれば黒津街の『バイパー』ってバーから連絡寄越せ。気が向けば、相手してやる」
…それは感謝の言葉って事でいいのか。だいぶ上から目線だ。
「初めてにしちゃまあまあの出来って事だ。初陣で要観の相手が出来るのはそうそういない。さっさと帰んな、撮影でその体に大量に魔素を被ったはずだ。じゃなきゃ、他と同じになるぜ」
腕を組み、普通の大きさよりもでかいパンダの上に跨がったセレネは、紫色の瞳で俺を見下ろしながら鼻でフッと笑う。
顔色には出てないが、疲労は感じているだろ?と聞いてきたその通り、風邪の症状にも似たものと眼痛、あれから逃げただけでの疲労状態には思えない。
「お前はせいぜい、バカにならないようにすんだな」
荒々しい口調のセレネは俺にそう言った後、返事も待たずに耳のピアスを揺らして再びヨミの方へ向き直った。
「おいヨミ。ちょっとしたボーナスで教えてやるよ」
「ボーナス?あら、そんなにヤスの事気に入ってくれた?」
「バカ言え、銀流街の話だ。ローグの話でちょっと気になったことがあってな。私としても、利用された気がして胸くそが悪い」
ブルゾンのジャケットに手を突っ込みながらローグレンと話していたヨミに、セレネは銀流街で起きた一連の事についてだと前置きし、じっとしているパンダの上からヨミに話し始めた。
「そもそもパンダが銀流街を襲撃したってのが、ローグが集落のガキの為に露店で買った人形が突然爆発したからだ」
売り付けた奴も相当不幸だ。縄張りにしている森の花一本でも踏み荒らせばすぐ殺しにかかる凶暴なパンダの住みかで商品が爆発。当然パンダの怒りを買う事になったんだから。
このセレネの言葉通り、人形が爆発したってのはさっきも言ってたな。どうしたら露店で買った人形が爆発するのかも、不思議な話だ。つか、ワケが分からない。人形ってのはそもそも、爆発する素材で出来てたか?
「それが?」
「人形に何を仕込んでたのかは知らねぇ。だがうちのもんが気になって残骸から中身を見たらよ……中身には“小麦粉“が入ってたってさ」
「……小麦粉?」
セレネから小麦粉というワードを聞いた時、頭をだるそうに掻いていたヨミの手がピタッと止まった。
地下言葉の比喩か?人形に、小麦粉?それとも本当の小麦粉だったのか?
とにかく、それを聞いたヨミの目が何処か影を宿した。赤い色の宿る茶色の瞳の色が、より濃く赤みを増し、まつげの多いその目でセレネを見つめた。
「それ、本当の話?」
_「「グゥ」」
「おかしい話だろ?ただの売り物の中に、発火性のある小麦粉と爆竹の一片が入ってるなんて普通じゃねぇ。しかもご丁寧にお勧めセールスして買わせた商品だ」
小麦粉と、爆竹?やっぱ小麦粉は小麦粉なのか、いや小麦粉はともかく、爆竹?綿がないからって何か適当に詰めたとしても、爆竹なんて普通は詰めない。
「そういう爆弾だ。まんま『小麦粉爆弾』つぅけどな。小麦粉と爆竹とか火薬の含まれてるもんの超安価で作れる上、威力は普通の爆弾よりは弱いが数を詰めばそれなりの破壊力にはなる」
疑問を示した俺にそう説明したセレネは、「普通の爆弾も買えないか、被害は最小限にしたいかのどっちかだ」と付け加える。威力は弱いといえ、普通に爆発すれば指は簡単に取れるレベル。量を増やせば全身が吹っ飛ぶことも不可能ではない。
「まさか黄昏森のビーストに人形を売り付けたのは運が悪いとしか言いようないが、わざわざ人形を売り付けたのには理由があると思ってな。マジでパンダに喧嘩売るためか、ビーストに何か訴えるつもりだったのか」
「…ローグレン、そいつの顔とか覚えてる?」
今までよりも一層静かなトーンでヨミは横にいるローグレンに聞く。顔は一切ローグレンには向けず、セレネを見上げたままだ。
「顔を被り物で隠してたから分からない…銀流街で歩いてたら突然人形はいらないか?って進めてきてさ。服装は覚えてる。前にボタンのいっぱいついてる肌色のコートを着てた。この暑い季節にって、珍しいと思ったんだけど…」
ボタンのいっぱいついているコート。
夏真っ盛りの今じゃかなり場違いな格好だ。
ヨミの表情に一瞬、今よりも濃い陰りが見えたような気がした。
何処かマイペースにのらりくらりとしていそうな雰囲気から一変、かなり穏やかとは言えない空気を漂わせた。
_「『トレンチコート』か」
発せられた言葉は今まで話していた声よりも一層低く、別人のようだ。何かに対しての憎しみを感じさせた程にヨミの感情が静かに剥き出されている。
『トレンチコート』と呟いたヨミに、セレネはフッと少し口元を緩ませて見下ろした。
「このままパンダが思う存分制裁を果たすのも良いが、一度伝えて置こうと思ってな。クーロンは私ではなく、お前らの陣地だしな」
「セレネ、どういうことだ?」
俺と同様話が見えないのか、ローグレンが長い耳をピクピク動かしながらセレネに聞く。
セレネの下のパンダは判ってるのか分かってないのか、パタパタ耳を動かしながらただじっと話が終わるのを待ってるようだ。この間、俺の方にまた顔を向けてガン見してるのは止めてもらいたいが。
だが、ローグレンには後で話すと言って詳しいことはその場で省いたセレネは、再びヨミから視線を外して俺の事を見た。
「お前もせいぜい気を付けるこったな。なんか良からぬ事が起きようとしてる。ここにはマトモなのは一人もいないと心得とけ」
…気を付ける。こんなまともじゃないなんかがいるなんてさすがに思ってなかったけどな。
「案外何処にだっていらぁ。ただ………人間の眼じゃたかが知れてるってだけだ」
見たって人の心の内側は読めないように、すぐ近くにはあるが、目には見えないものというだけ。
だから人は愚かしくも騙される。その事実に気づかずに、ただ見えているものだけを信じて生きるしかない愚かしいもんだとセレネは俺に言った。
そう思わないか?と聞かれたが、何も返事は返さなかった。
「いい教訓にはなっただろ、表面の見た目に騙されるな。ここにはそんな輩がわんさかいるってこともな」
__「ヤス」
いつも通り、というか普通に呼び掛けられたヨミの声が俺の耳に届く。ヨミの大きな目が俺へと向けられていた。憎しみを感じさせる目ではなく、もっと何か、別のものを見るような目だ。
帰ろう。
その一言に、俺は一眼レフのカメラを手に握り、セレネに言われた言葉の意味を考えながら頷いた。
この夜の事は、俺は多分一生忘れることはないだろう。
___翌日、パンダがクーロンに出てきたなんてあり得ない話は広まっており、しばらく水商売カップルの喧嘩も悪党の喧嘩も止み、住民全員が異常なまでの警戒モードに包まれたのはまた別の話だ。
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