22人が本棚に入れています
本棚に追加
___あの夜の体験があって、三週間…いや、約一ヶ月が過ぎた。
俺の隣人、晃累の顔の広さと故か、この短期間で大分顔は売れた。最初は警戒されることの多かった近所の地元民と玄関市場の露店商とは少し打ち解けた気がする。これも、人当たりの良さで評判のルイのお陰と言うべきか。
「あらおはよう、ヤスさん」
朝起きてすぐ共用のトイレに行った帰りの廊下で会ったのは、この団地の町内代表を勤めている老婆のヒンさんという人だ。下の広場に置かれている鉢植えの世話をしているのをよく見かける。
「今日も何処かでお写真を撮るんです?」
はい…まぁ。今日は学校に行ってみようかと。丁度登校日らしくて。
「じゃあ、たくさんの子供のお写真を撮るのね。いいわねぇ、私も今度、孫と撮ってもらえないかしら?」
人物写真は禁止されていたはずだが、ヨミとのあの夜から数日後くらいに、何故か写真の規制線は緩くなった。
この辺を取り締まる町内会の会長ラオの右腕である関沈は、不満そうだったが、町内会に関わる物以外であるならば全て俺に返される事になったと伝えてきた。
未だまだ返ってこない写真はあるが、仕事のために必要な写真を多く戻してくれる事は喜ばしいことだ。
「どうかしら?」
下手くそでいいなら、撮りますよ。
「あらまぁありがとう。でもヤスさんは下手くそなんかじゃありませんよ、この間の私の鉢植え、とてもよく……」
「いやぁぁぁぁぁあああヤスーーー!!ヤスゥゥゥゥーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
………
穏やかな朝の会話をしてるっつうのに、この時間からもうやってんのか。
「ヤスゥゥゥゥ!!!!!!!!!!!!!!かくまってくれぇぇぇ!!!!!!奴が!!奴がぁ!!」
こっちに決死の形相で泣きながら走ってきたのは、水商売カップルの男の方だ。名前は、確かナキと言ったか。水商売とあだ名つくだけあって、服装と髪型は歌舞伎町にいそうなホストでチャラいが………色々シャバい。残念なくらい。
てか、こっち来んな。そして後ろに回ってくんな。
朝からまぁ飽きずに喧嘩するなこいつら。
「お願いだよ!!今度こそ俺は本当に殺される!!奴に!!妖怪グリズリーババアに!!」
妖怪グリズリーババア…。
_「誰がグリズリーババアだこの浮気野郎ーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!」
ドスドスドスドスと団地全体が震えるほどの足音を立てて、ピンク色の薄手の寝巻きを着たグリズリーが、狭い通路を走ってきた。巨漢の体型にしてはかなり早いし迫力も膨大。
見て一瞬、あの時のパンダがこっちに突進してきたと思って心臓が縮んだ気がした。思わずヒンさんを即保護して道脇に避けた。
「ナキィィィィイイイイーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!貴様ぁぁぁぁああああーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
「いやぁぁぁぁぁあああーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
ナキは半泣き状態でその場から逃げ出し、彼氏よりも横にデカイ巨漢の彼女は物凄い早さで俺とヒンさんの目の前を通過していく。
パンダといい勝負ってくらい迫力がある彼女はナミって名前だったか。ほんと、なんで続いてんだってくらい喧嘩してやがる。誰も苦情言わないのか。
「今日も元気ねぇ、あの子達」
毎度毎度なんであぁも騒がしいんやら。
「いつものこと。本当はとてもいい子達なのよ。ナミさんはでも、前よりちょっとふっくらしたかしら」
ふっくら所じゃねーだろありゃ。前にナキが魔人ブゥって言ってたが、わかる気がする。
「ようヤス!調子どうだ?」
未だ団地にカップルの喧嘩の騒ぎが聞こえている中に現れたのは、久々にみる不動産屋のユーハンだった。奴はアロハシャツと半ズボンのラフな格好でこっちに来ると俺達に挨拶した。
「ここの住み心地はどうだ?快適だろ?」
まぁまぁだな。鍵はともかく、たまに電気と水道が止まるのは困る。
「悪い悪い。どっかの配線がダメみたいで今直してっから。ヒンさん~どうも!」
「あら不動産屋さんね。お久しぶり」
「元気そうで何より!あ、そうだヤス。ちょっとお前とルイに話したいことがあんだわ」
俺とルイ?なんだ?
「ちょっと面白い話。まぁ話す相手はコウなんだけど、お前も聞いてけよ」
ニヤッと胡散臭いニヤケ顔でルイの部屋に向かったユーハンの様子には何か嫌な予感がしたが、気になったのもあってそのまま一緒についていく事にした。
最初のコメントを投稿しよう!