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第零話 トラブル・チェイン! 振られた矢先に異世界転移(後)
まだ真昼間なのに、帰り道は一人きりだった。けど、それは当たり前の事ではあった。
さっき俺、加々美憐は恋人に逢って意気揚々とプロポーズして……断られたんだ。
二十六歳、ニホンではそこそこイイ歳。身を固めるのに丁度良い頃合いと思ってた、のに。
『レンと私は、住む世界が違ってたんだよ……』
彼女はそう言って、俺の元を去っていった。
二年も付き合ってたんだから、そりゃあ愛してくれているって思っていたよ。俺は自分では特に中身に自信を持ってて、その中身を受け容れてくれてる、とも。――要はその中身を時間を掛けた上で否定されたという事で、自分でも情けないよなとそう思う。
それにしても……住む世界が違ってるってなんだよ。
思い出したら、ちょっと笑えちゃうじゃないか。今笑って心が緩んだら視界が、滲んでぼやけるだろ……。
同じ人間なのにさ。彼女からは『レンはテンションがおかしい』とも言われたけど……だから住む世界が違う、って事なのかな?
横断歩道の前で、ふとアスファルトに塗装された白の模様に目が行った。寝かせた梯子みたいな白色は、隙間の黒のアスファルトと交互になっている。
子供の頃はなんか知らないけど時々白い所だけを歩いて渡ったりしたっけ。ゲームみたいな感覚で、黒い所を踏んだら残機一つ減るみたいな事考えてな。
不意に近くで何かが弾けるような音がした。
「……気の所為か」
少し歩幅を調節して一番手前の白い所に足を乗せる。
「ほっ、と」
そのまま連続して白い所を踏んでいく。
他に通行人は居ないから、こんな子供みたいな事をしても恥ずかしくは無い。近付いてくるトラックの走行音が聞こえてくる位だ。
「ん、おい」
歩道は青信号で車道は赤信号なのに、トラックが速度を落とす気配が無い。
俺はまだ歩道の中に居るんだぞ。折角童心に返ってる最中だってのに――。
クラクションを鳴らしさえしない、速度も落とさない。
お前さあ――。
猛然とトラックが、間近に迫ってくるその威圧感に、俺の心が震えた。
怒りでだ!
「お前、自分の人生台無しにしたいのかよ!」
叫びながら右手をトラックに向けて突き出していた。止められるなんて思ってないけど、それと俺が自分の怒りを爆発させる事は別の問題だから、さ。
それに、人生終わるのは俺だけで良いんだと、そう思ったから……。
弾ける音が大きく響いた。俺が、トラックにぶつかる前に。
音と同時になんか光り出した俺の右手が、トラックをビタァッ!――と止めていたんだ。
「――はあっ!?」
なんなら急に止まった反動で車体の後ろの方が浮いてしまっている事に俺が驚いてる位で……ちょっと、これ……。
「危ない!」
とにかく運転手が怪我しないようにと声を上げるしか出来なかった。とにかく無事で! とにかく無事で居てくれ運転手ー!
なんか右手の光が全身まで包み込むように広がっていってたけど、そんな事よりも今は運転手の事を考えないと。
俺の思いが天に通じたのか、トラックは吹き飛んだり横転する事も無くそのまま着地した。まだ最小限の衝撃で済んだ筈だ。
「良かっ――」
『た』を言い終える前に、俺は全身を包んだ光の内に吸い込まれて、なんか物凄い空間の捻じれっぽい所をそれこそ超高速で流されていた。
「あああああああああああああああああ!」
※
長いようで短いような空間の捻じれを超えて、視界が一気に開けた。取り敢えず、自分が地面の上に立っていた事に安堵した。
なんというか、石畳っていうのか。黒いアスファルトじゃない、グレー色した平らな石を並べて舗装された道の上に、今俺は居る。
空は、綺麗な青空が広がってる。
「……あの世、か?」
恐る恐るそんな事を口にしたのは、逆にそうであって欲しく無いという思いからだ。
まるっきり俺の知ってるニホンとは様相が違ってる。それは認めるけど、でも……。
「確かに、トラックはこの手で止めた筈だ」
轢かれてはいないのだから、死んでもいないという事なのだ。
なのにあの世に来てしまったというなら、それは余りにも理不尽じゃあないか。俺は理不尽とは出来る限り戦いたい。
そう思いながら右手を見るともう光ってなかったが、手の甲に変な模様みたいな痣が出来ていた。
「もう、何がなんだか――」
突然、低く響き渡る鐘の音が鳴った。
ゴォォン――ゴォォン――。
「びっくりしたなぁ、もー!」
不意を突く感じで何か来るのやめてくれよ、こっちは彼女に振られてからずっとそんなんばっかでもうビクビクしてんだから!
俺の心境なんて知らんとばかりに鐘の音は続いてる。何だっていうんだまったく、そう思いながら鐘の音の方向を見遣る。
……嫌なものが見えた気がした。
でも、他に何を頼りにして動けば良いのかも分からないから、そうなりゃもう仕方無い。そう思って歩き始める。
「ここは天国か、或いは地獄か。あそこで何が待ってるかで判断しよう」
石畳に沿いつつ鐘が鳴る方へと歩いていくと、ちらほら人間っぽいのが何人か同じようにしてるのが見える。
いや、実を言うとここに来てすぐに俺以外に人間……っぽいのが居てそこそこ賑わってるのは分かってたんだよ。
ちゃんと人の顔はしてるし、話してる言葉なんかも理解出来るんだけどさ。なんというか俺の良く知るニホン人とはちょっと違ってて……。
皆それぞれ髪の色が赤かったり黄色かったり、緑色してたりと随分なカラフル加減でさ。その割に着てる服はニホンのファッションに比べて質素というか質実というか、中世ファンタジー風っていうか。
こうなっては明らかに俺だけが浮いてる風に思ってしまって、どうにも声が掛け辛い……。
本当に何処なんだよ。もしあの世なら俺以外にもニホン人が居る筈なのに、寧ろ皆違う世界の生き物みたいだ。
いや、どうやら違う世界に来たらしいっていうのは百歩譲って認めても良いと思ってる。でも、ならなんであの鐘の音がこの世界に存在してるんだ?
さっきからずっと、俺がどうにも微妙な気持ちになるっていうか、なんかそわそわしてしまうのはさ。この鐘の音の所為なんだよ。
ニホンでも知ってる鐘の音なんだ。まるで違う世界に居るんだと思わせてきておいて、なのになんで同時に俺にこの鐘の音を聴かせてくるんだよ――!
辿り着いて、改めて確信した。天国でも地獄でも無くここは何処かの異世界で、しかし現実離れし過ぎていない、言ってみればリアリティが存在してる。そう俺に思い知らせてくる建物を間近にそう思う。
「教会。ウエディング、ベルかよ……」
アスファルトじゃない石畳の道。若いヤンキーやギャルもびっくりするであろうカラフル髪の、人間達。
ああ。もう彼らも俺と同じ人間なのだと、そこも認めるさ。違ってるのは髪の色と着ている服位なものだ。
なんたってこの人達もニホン人のように、お互いの愛を誓い合って添い遂げる風習を持っているんだから。れっきとした、今この世界に生きている人々なんだ。
目の前では教会の扉を背にして立つ新郎新婦が、周囲の観客から惜しみ無い祝福を受けているようだった。
「現実、の、愛し合う人達。なんだよ、天国や地獄よりも辛くなってくるじゃないか……」
駄目だ、ちょっと待って。いかん、ここで泣いたら絶対にいかんぞ俺!
「敗者は潔く去り行くのみって、ばっちゃんも言ってたもんな!」
いや言ってない。俺はばっちゃんからそんな言葉を言われた事は無い。
これはいわばノリってやつだ。放っておけば底辺まで沈みそうな自分の心を、支えて引き上げる為の心の網なんだ。
「帰ろう!」
何処へだよ、と心でセルフ突っ込みを入れる事も欠かさないぞ。でもとにかく、俺はここには居ちゃいけないんだ。
何故なら今のこの俺には敗者のオーラが纏わり付いているからだ。それは関わり合いになった誰かの気分にも伝染する恐れのあるものだ。
いけない。絶対にいけない。あの新郎新婦の幸せにけちが付いてしまっては! この敗者のオーラは、俺一人でこの場から持ち去っていくぞ!
踵を返して駆け出そうとした。なのに……。
「見付けたぁっ!」
明後日の方向からなんか聞こえて来た。俺に向かって、言って来てる感触がある!?
振り返ったら、なんかさっきの新婦とは違う、花嫁衣装に身を包んだ女が走って来てると分かった。
俺の、方にっ!
「私のっ!」
真っ直ぐに俺を見て言ってるぞ。なんでそんな如何にも動き辛そうな格好で一心不乱に走れるんだ、必死なのかよ!
なんかこの女……ニホンで俺に突っ込んで来た暴走トラックよりも、怖い!
ひやりとさえしてきたんだ。こんなのは、今までに――
「花婿様ぁ!」
何か頭の中に浮かび掛けたのが吹き飛んだのは、花嫁衣装のこの女が両手を広げて俺に飛び掛かってきたからだ。
「くっ!?」
反射的に右手がぴくりとしたけど、きっとすぐに女に向けて突き出せたんだろうけど、俺は寸での所でそれを踏み留まった。
彼女の表情が、心底俺を信じ切っているみたいだったからというのが理由だ。そんなのを理由にするのは、俺が駄目な男だという証明に過ぎないんだろうってなんとなくそう思う。
彼女はその顔を俺の胸に埋めるように激突してきた。その勢いで俺は彼女ごと倒れ込んだ。
女に轢かれてしまった……。それも、こんな何処とも知れない異世界で。
「この世界、ゼルトユニアにようこそ。貴方を、お待ちしていました」
……ああ、ゼルトユニアっていうのか、この異世界は。
親切に、震える声で教えてくれながら両手を地面に突いて上体を浮かせた彼女と、下から上から目が合った。
彼女は顔を赤らめているようで、綺麗だとは思ったよ。ええと……。
「……アクアレーナ・ユナ・フレイラと申します」
俺が探る視線をしていたのを感じ取った様子で名乗った彼女、アクアレーナは走って来ていた時とは違って今はしおらしかった。感慨深い、みたいな表情だったのかもしれなくて、彼女のその視線を俺は逆に受け切れなくなって目を逸らしてしまう。
彼女の左手の甲に、変な模様のような痣があるのが見えて――俺はそっと彼女の顔へと視線を、戻す……。
「……カガミ・レンです」
彼女の名前の感じに釣られて、つい同じ感じで名乗ってしまった。でも――。
彼女には聞きたい事が山のように有ったけど、親切には礼儀で返さなきゃいけないからこっちも名前を名乗らなきゃいけないなと思ったんだ。
それ位はするよ。だってそんなのは、人としての基本じゃないか……。
――第零話 完――
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