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第一話 ハロー・ブライド!? そこに居るのは現実の淑女
アクアレーナ・ユナ・フレイラ。それが俺に突然飛び掛かり、地面に押し倒すまでした女の名だった。
純白の薔薇の意匠をそこかしこに凝らしたウエディングドレスを纏ってる、そうウエディングドレスだ間違い無い。
透き通るヴェールが被さったその下は、紫を微かに混ぜたみたいな暗さの、でも凄く品の有る青のストレートヘア。この青空の下で尚青い、ニホン人に見る黒や茶の髪色とは根底から違った、独特の綺麗さだった。
その色味の所為で何処か冷たい女みたいな印象を受けもする。
けど、いや冷静になれよ俺。彼女は今、俺の上に乗ってるんだぞ。
物凄く情熱的な女なんだ、絶対。髪の色味なんかで印象を引っ張られてはいけないんだ。
肌の露出は腕と顔、後は肩口までばっくりと開いた胸元で、逆に脚はロングタイプの裾の広いスカートですっぽりと覆っている。悪くない露出の仕方ではあるとそう思う。
隠す所は隠して見せる所はピンポイントで見せる、そういうデザインなんだから、だからこの開いた胸元のデコルテラインに見入ったとしてもきっと俺は怒られない訳で、男としてはそういうのって素直に嬉しい。
端整な顔立ちなのに表情が遠慮無しに前へと浮き出ていた。すっと通った鼻筋は大人の女の魅力を放っていたけど、でもこっちに依存してきてると分かる目つきのあどけなさは危うさと表裏一体で、なのにぷるっとした唇は正直エロスを秘めている。
説明に擬音がちょいちょい混じったのは、それが女の見た目についての説明だったからさ。
飾った文体で女の見た目を語る程、俺は自分の性的趣向を飼いならせてはいない。
実際に綺麗な女を目の当たりにして、それでも冷静な感じで気取った説明をする男はきっといわゆるむっつりスケベだよ。でも女も意外と気取ったむっつりスケベが好きだったりするから、別にそれが悪いって話じゃないけどね。
「花婿様、これからはずっと二人添い遂げましょうね」
――!?
「それは、無理だ!」
危ない油断してた。幾ら彼女に見惚れてたからって、いきなり花婿様とか添い遂げるとかそんなの無理に決まってるって。
それは理不尽さ。俺は理不尽とは戦う。
「そんな!?」
露骨に悲しみに暮れた表情をするアクアレーナ。一体何がどうしてそんな風に、今出逢ったばかりの俺に真っ直ぐ感情をぶつけられるのかな……。
というか、いつまでもこの体勢のままで居るのは良くないんだよ。
「アクアレーナさん。どうあれまずは、起きて立とう?」
ここの地面は石畳になっていて、倒れたままの姿勢じゃあ俺の背中に優しくない。それにさっきからずっと、教会の方で本物の新郎新婦や観客が俺達を変なものを見る目で見ながらざわついてるし。
なのに彼女は、上体を起き上がらせてだいぶ近かった俺の顔から距離を空けてくれはしたけど、今度は腰を俺の下腹部辺りに降ろしてきた。
待って待って、その位置はあんまり良くない、ていうか寧ろいけない位置。
ぺたんと座ってるような状態だからスカートが広がってるし、という事はスカートの中が俺の下腹部に当たってるって事なんだ。
「……そのまま、逃げたりはしませんよね?」
彼女がなんか凄く心配そうに聞いてきた。いや、逃げたいようで、逃げたくないような……そんな微妙な心理ではあるけれどさ……。
「――なんでそう思うの?」
彼女が探るような目線をしていた意味は分からなかった。
確かに俺は何も言わずに、彼女を跳ね飛ばして逃げても良い位の状況ではある。逃げたくない気もしているけども。
でも少なくとも、彼女はこんな大それた事をしてきながらも、自分がしている事はおかしいという自覚を持ってるみたいだね。
問いに対して問いで返してしまったのは会話として上手くないって思うけど、ここで彼女とこうなるまで、本当に訳の分からない事の連続だったんだ。だから繊細なまでに色んな事が気になるのは当然さ。
「これまでにも、何人かの方にそうされてしまいましたから……」
またなんか判断に困る言葉が出て来たな。けど、騒ぎが大きくなって向こうの結婚式に影響が出たらやっぱり俺は嫌なんだよ。今はそうならないようにするのが先だから。
「ていうか、なんでそんな恰好してるの?」
「花婿様が本当なら私の屋敷内に召喚される筈で、だからすぐに結婚出来るようにと先に纏っていたのですわ。なのに何故か、離れた場所であるこちらに来訪されてしまわれたから……私、すぐに馬車に乗って駆け付けて……」
召喚? ていうか、なんかもしかして俺が悪いみたいになってる!? 彼女は決して俺を怒ってる感じでは無いけど、寧ろ俺と逢えて本当に良かったって表情をしてるけど……。
でも、そんな一方的にされたままでは居られないぞ。
「……ドレスがこれ以上汚れないようにする為だから、起きよう」
俺の言葉は彼女を気遣うように見せ掛けた方便なんだけど、でも心の中では彼女の要領を得ない感じの話し方に、というよりも余りの状況の分からなさに、ほんの少しだけイラついてしまってた。ちょっとは顔に出てたかもしれない。
だけどそんな俺の言葉に、彼女はハッとした顔になって急いで立ち上がってくれた。イラつきを真っ直ぐな誠意みたいに受け取ったっぽかった。
「私とした事が! これは貴方様の為のドレスだというのに……」
そう言って自分のドレスを、特にスカートの裾辺りを入念に見遣ってる。
一生懸命体を反らし後ろ側にも振り向いて汚れを確認してる。裾広のスカートだから倒れた時に、そして俺の下腹部に座った時に、かなりの部分が地面に接してしまっていたのだ。
その様子からは彼女自身の純真さを感じもしたけど、同時に正直凄く危なっかしい印象も受ける。
「ちょ、姿勢を崩してまた倒れたりしないよう気を付けて!」
思わずそう声を掛けてしまった。イラつくけど、でも彼女には放っておけなさが有るって認める。イラつくけど。
分かり易過ぎる彼女の立ち振る舞いに教会の方でも危険は無いと判断したのか、どうやら結婚式の方は再開をし始めたようで、そこにはほっとしたけどさ。
「あっ!」
彼女の姿勢が一瞬大きく傾いた。
「危ないって!」
とっさに彼女の体を支えようと両手を差し出すけど――。
「こんな後ろの部分まで汚れが付いてるなんてっ」
そう言ってから彼女は自分でしっかりと姿勢を正した。
「おわっと。……結構、バランス感覚が良いんだね」
俺は一人で焦った事の気恥かしさを隠しながら、差し出した両手をそっと戻す。
「これは、洗って落ちるかしら?」
しかし今度はなんか彼女の方が恥ずかしさから焦り出した。もう、調子が合わないなぁ。
やはりというか当然というかドレスには汚れが付いてしまっていて、元が純白という性質上物凄く目立ってしまうのだ。
――もう。ほら、向こうで皆がくすくす笑ったり憐れんだりしてるから。これはこれで周囲の目が痛いから。
「残念だけど、ここで言っていてもどうにもならないかなって思う」
「ああっ、スカートの内側にも汚れが!」
――こんな状態で更にスカートを捲るな、馬鹿っ!
「ちょっと、他の人達が変な目で見てるからやめてくれ!」
「ああ、花婿様は私を、周りの好奇の目から守って下さっているのですね!」
「そうじゃない! ここでの主役は教会の新郎新婦なんだから、その二人より目立つなっていう事だ!」
「はっ、ごめんなさい! 私、花婿様の他者を慮る寛大な御心に感服しておりますわ!」
なんか話が噛み合ってるのか噛み合ってないのか全然分からない。物凄く疲れる……。
「……とにかくここじゃなんだから、場所を変えよう。大丈夫、逃げるのだけは絶対にしないからさ」
何が大丈夫なのかは俺にも分からないけど、とにかくここからはもう一秒でも早く移動したい。
でもそう言いはしたけど、今後の身の振り方は常に意識しておこうとは思ってる。
まだこの世界ゼルトユニアに対する土地勘とかが全く無いのは認めて、彼女からは聞き出せる情報をなるべくしっかりと聞き出しておかないと。
少なくとも、俺がこの世界に来てしまった理由を彼女が知ってるのは間違い無いんだ。それを聞くまでは迂闊に彼女から離れる訳にもいかない。
「それならば、私の屋敷にご招待致しますね!」
アクアレーナは何かを思い至ったみたいな顔してから、満面の笑みを見せて提案してきた。
俺をとことん自分から離さないようにと考えているのが明白過ぎる。
「……腰を落ち着けられるのなら、もうなんだって有り難いってそう思う」
けどニホンに居た時からのハード過ぎる展開と、そこから更に彼女とのごちゃついたやりとりのお陰で、俺の気力はもう既に大きく減少して限界に来ててさ。
だからだと思うけど。明るい感じで俺を先導してくれてる彼女を今はもう素直に、可愛いかもしれないと思って見てた。
「すぐ近くに馬車を待たせていますの。さあこちらへ!」
だから花婿どうこうに関しての話以外は、寧ろ彼女にリードされるのを有り難いと思って受け止める事にしたんだ。
ここまでの突飛な行動を見れば、そりゃあいわゆる地雷女なのかもしれないって事も頭にチラつくけど、今はだからって別に完全に彼女を避けようとは思わなかった。
ただ、その前に――。
俺は少しの間だけ、違う方へと振り返った。
「……お幸せに」
その一言を言う間だけ教会の新郎新婦の方を見て、言い終わったらもうそっちには背中を向けてた。
元恋人に渡せなかった婚約指輪を捨てながら。
ちょっと微笑んでたかもしれない。
もしかしたら、あの時俺を心から信じ切って飛び込んできたアクアレーナの、あの悔しい位に奇麗なウエディングドレス姿を見た事で、強引に吹っ切れられた所為かもしれないね。
一番やってスッキリする事をやれたから、だからその切っ掛けになったアクアレーナに対して、邪険にする気にだけはなれなかったのさ。
――第一話 完――
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