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 俺の父は、厳格な(たち)でね……所謂、昭和の頑固親父を地でいく男さ。愚痴ったり弱音なんか吐いたところは、ついぞ見たことがなかったな。  定年まで後1年、って時の春だ。会社の定期検診でガンが見つかってね。(すい)ガンの末期で、転移していたお陰で発見された。……ああ。あんなになるまでには、当然痛みもあった筈なんだ。  知り合いの大学病院に頼み込んで、何とか入院させてもらったけど、余命半年って言われていて――あっという間に痩せていった。  仕事人間だったからなぁ。生き甲斐を失ったダメージも追い討ちをかけたんだろうな。 『殺して、くれ』 『――え?』 『頼む……遺書、書い、た……』  シングルサイズの病室のベッドが大きく見えるほど、枯れ木みたいな親父が、やっぱり木枯らしみたいな細い掠れた声で、懇願するんだ。無理に見開いた瞼の隙間から覗く瞳が、異様にギラギラしていて――あれは、死に対する妄執だよ。我が親ながら、思わずゾッとした。 『な、何言ってんだよ、親父』 『――た、の、む……』  口を動かすのも辛かったんだろう。一言一言、区切るように絞り出すと――ボロボロと泣いたんだ。  カララン、と手元で遠慮がちな嘆息が漏れる。  バーテンダーは、沈黙を破るような無粋をしない。仕事柄、重い話を聞かされることにも慣れているのだろう。  俺は、再びウィスキーに口をつけ、過去に戻った。 ー*ー*ー*ー  親父の涙を見たのは……記憶にある限り、あれが初めてだった。15年前に母が交通事故で先立った時でさえ、終始赤い目をして俯いていたけど――他人の目がある所では、喩え相手が俺でも涙は見せなかった。  それから、親父は1年近く生きた。死期が近づくにつれ、身内の顔を忘れ、夢か現かも分からない状態になった。朦朧としたまま呻いて、呻いて……呻きながら息を引き取った。可哀想な最期だったよ。  担当医の話では、相当前からモルヒネが効かなくなっていたって。多分、俺の前で泣いた時には、もう効かなくなっていたんじゃないかな。
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