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「痛みってのはさ、身体が発した情報が脳内で電気信号に変換されて処理され、『痛さ』として認識されるんだよ」
ざわついた背筋を宥めるように、俺はざっくりとした解説を加える。
「開発した新薬――エピメロンXは、痛みの原因には何の効果もないんだが……」
研究棟の隣には、急ごしらえで建てられたとおぼしき倉庫があった。大きさは体育館くらいだろうか。
太い鉄骨の柱が何本も等間隔に並び、無駄に高い天井から蛍光灯がぶら下がっていた。
倉庫の中央には、壁の一面だけがマジックミラーになったコンテナが3つ置かれていてな……ああ、そうさ。被験者を観察するための実験室だよ。
正式な製品化を目指す訳でなくとも、やはり効果と副作用を示すデータは必要だ。統計的検証に耐えうるだけの人数を揃えるのは難しかったが、教団は実験に必要な被験者を用意してくれた。
教団の担当者が被験者を連れて研究棟に現れるのは、決まって早朝だ。まだ日の出前、辺りの薄暗さが、人目を避けるために好都合だったんだろう。
俺は、被験者について、詳しい事情を訊かなかった。
勿論、気にならなかった訳じゃないがね……新薬の完成が共通の目的である以上、ギブアンドテイクが成立していれば、それで良かったんだ。
現金なもんさ。痛みに苦しむ人を救う、なんて大義名分を掲げていたくせに、いつしか新薬を完成させたいっていう欲求に支配されていた。余計な詮索をして、この環境を失うくらいなら――多少のことには目を瞑れた。
『最終段階、だそうですね』
俺からの連絡メールを受けた鞍橋は、葬式帰りの喪服みたいな黒い正装でやって来た。これから目の前で繰り広げられる被験者達の末路を思えば、奴の服装は至極当然にも思えた。
貼り付けたような好好爺の肉面の中で、三日月形の隙間から覗く眼差しだけが、抜け目のない性格を物語っていた。
『ああ。彼らには、2ターン、およそ12時間前と6時間前に投与している』
研究に没頭できる環境が効を奏し――教団施設に来て1年とかからずに、エピメロンXは一定の効果を見込める段階にまでこぎ着けていた。
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