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先輩はあのドアの向こうに、何か後ろめたいことがあったのだろう。僕はそれを気にしなかったし、気にするつもりもなかったけど、先輩はそうはいかなかった。
先輩が消えたのは、糸が切れたからかもしれない。でも、僕が本当に待てるかを、試そうとした可能性もあるのかもしれない。こんな寒い中に放置するなんて、そりゃ普通に考えればおかしな話だけれども、でも、絶対にない話だとは言えないわけで。事実として先輩はいないのだし、僕は先輩を待てなくて……。
駄目だ。
僕はもう一つ、石を沈めた。さっきより大きな音を立てた。
自分が思っているより、先輩が消えたことが堪えている。僕だってこんなに弱いのに、待つなんて言っていたのか。
海の底の世界へ、先輩が行ってしまったとしたら――。
風が冷たい。鼻の奥が痛い。暗闇の曖昧な輪郭が、さらに境界を失っていく。
「行かないでくださいよ、先輩。待ってくださいよ、僕は、僕は……」
『私だって、君のことを待つよ』
いつだったか、先輩は言った。
「これで、二人の帰る場所ができるね」
僕は、歩き出した。さっきまで、二人でいた場所へ。先輩が消えた場所へ。
手すりを越える。冷たい風。ぽっかり空いた穴。船と飛行機と星。
先輩はいない。
僕は再び、目を閉じた。
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