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ちらりと上げた僕の視線の先で、時計の針は午前九時三十分を差していた。
「広告見て、意味が分かるまで時間がかかりました」
「皆さんそう言います」
「面白いお仕事ですよね。お客さん、けっこういるんですか?」
「ええ。意外でしょう? 多い時は一日数件のお問い合わせがくるんですよ」
へえ、とイチコさんは声を漏らした。
「面白いですね。そんなに、みんな『待って』るんだ」
ただの相づちではない驚きの響きがあった。
「今回のように合格発表を一緒に待ってくれというのはけっこう多いです。ご本人だったり、あるいはご両親だったり」
「両親」
「小学校受験のお子さんの結果を待つのがつらい、とかね。合格発表じゃないけど、保育園への入園可否の役所からの電話を、一緒に待ってという依頼も受けたことがあります」
なるほど、と呟くイチコさんから、徐々に緊張が緩んできているのが分かった。イチコさんは「他には?」と続けたあとに、慌てたように付け足した。
「あっ、もし黙ってないといけないっていうんなら……」
「ああ、依頼内容くらいなら平気ですよ」
僕は笑った。きちんと常識的な考えができる、良い子だと思った。
「他には、ご家族が手術を受けられるのに、一人で待つのが耐えられないとか」
「ああ。なるほど」
「依頼によっては長丁場になるときもあります」
「って?」
「今回みたいに一時間とか、二時間とかじゃなく、先の見えない『待ち』。プロポーズをしたものの相手から返事を待たされてる、とか、愛人の元に去っていった夫を待っている、とか」
「えっ、それってどうやって一緒に待つんですか?」
「さすがにそんなにずっと時間は割けませんので、時折お伺いする形になります。数日おきに『返事は貰えました?』とか、一ヶ月に一回『旦那さん帰ってきました?』って」
「それでいいんですか?」
「だいたい皆さん、それで満足されてます。ーー要は『一人で待ち続けるのがつらい』から、時々でも、自分が『待っている』ことを共有してもらいたいみたいです」
僕の声に、柔らかなイチコさんの声が重なった。
「分かります」
「分かって貰えますか」
「待つって、本当につらいから」
「ええ」
僕もゆっくり息を吐いた。
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