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「私も今日の発表、もう後がないんです。実はもう三校も落ちてて、今日の大学が最後のチャンス」
「そうなのですか」
「試験は、できたと思うんです。でも終わってから今日までの三日間、実はほとんど眠れてないんですよ。怖くて怖くて……。早く発表して! って思う反面、もうやだ、逃げたいって……」
「逃げたい。皆さん、そうおっしゃいます」
「ですよ、ね……」
イチコさんの声の調子に、やや陰りが出てきた。
その時、ざわざわと周囲に動きが起きそうな気配があった。僕は時計を見る。九時五十分。そろそろ掲示板の準備が始まるのかも知れない。
「なんで『待つ』ってつらいんだと思います?」
イチコさんの沈黙が固くなっていくのを感じて、僕の方から話を続けた。
「待っている時って、僕は『気持ちが待つ対象に奪われている』んだと思うんです」
「気持ちが、奪われる……」
「そう。だから、ひどく孤独を感じる」
僕は視線を横にやった。
窓ガラスの向こうに見える桜の木は、まだ寒風につぼみを固く閉ざしている。
「本当にくるのかなという不安、こないかもしれないという不安。こなかったらどうしようという焦り。それはたとえば電車を待つ、ってことにもあるんですよ。この、世界一定刻を守るという評判の日本の電車であっても、ね。それって、不快でしかない。だからみんな、耐えきれず、逃げ出したくなるんだと思います。??今、怖いでしょう」
「はい……」
「逃げ出したい」
「はい……!」
震える声に、僕は反対に声を張った。
「そう、そこで、僕です」
えっ、と、イチコさんが息を飲んだ。
「その孤独を、僕みたいなので癒してください、ってことなんです。逃げ出してくなっても、僕が重し代わりになってあげます」
そして、声をたてて笑った。
「要するに、そういう不安につけこんだ商売なんですよ」
しばらくの沈黙の後に、イチコさんも笑い出す。
ははっ、ははっ、二人で声を出して笑い合い??そしてイチコさんは明るく言い放った。
「ありがとうございます」
「いえ」
「もうそろそろ、掲示板に張り出されるみたいです。私、行ってきます」
ぐっと、声に力が籠もった。
「いっしょに待ってくださって、ありがとうございます! 私、見てきます!」
「はい。では、お支払いのほうよろしくお願いしますね」
彼女のクスクスした笑いが、返答に被る。
「もちろんです!」
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