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「バートンさんが引っ越したのよ。多分その時に捨ててったんじゃないかしら」
誰だったか思い出せずに思案したが、「あのお屋敷よ」と言われてようやく分かった。こぢんまりとした民家の密集するこの町内で、ひと際目立つ洋館を和幸は思い起こした。てっきり廃屋かと思っていたが、外国人が住んでいたとは初めて知った。
和幸は溜まった食器を洗っていた。嫁が立ち仕事が辛いと言い出してからこの仕事は和幸のものである。嫁は座椅子で休んでいる。帰宅時に見かけたソファのことを和幸が話すと、近所でも話題になっていると嫁は言った。
「専ら売ればいくらになるかって話だけどね。私も気になってちょっとだけ見てきたけど、ありゃそうとうな額になりそうね」
「じゃあ持って帰って売り飛ばそうか?」
「ダメよ。このあたりのルールでは廃棄物の管理は町内会が、廃棄物の帰属は役所になるの。だから勝手に持って行ったりしたら罪になるの」
「へえ。詳しいね」
「……うるさいわね」
出産を控えた嫁の機嫌が突然悪くなるのは珍しいことではない。和幸は手を止めてそばへ寄った。いかにも腹立たし気な顔をする嫁に「どうかしたの?」と声をかけた。
「昼過ぎに町内会長がやって来たのよ」嫁は言った。
「廃棄物の話もその時に聞いたの。勝手に持っていくなって説明して回ってるんですって。その時あの人なんて言ったと思う? 『ま、こんな家に入るわけないか』ですって! ひどくない? じゃあ初めから来るなって話でしょ! っていうかソファくらい入るわ! ね、そうでしょ?」
和幸は激高する嫁をなだめながら相槌を打った。あの嫌味ババアが自分のいない間にそんなことを言っていたのかと思うと、沸々と怒りがわいてきた。
「ごめんよ。嫌なことを思い出させてしまったね」
週末にでも苦情を言いに行こうか。いや、それよりも嫁のストレスケアに努めるべきか。予定日が近い今、あまり事を荒立てぬ方が良いだろう。思案しながら和幸は頭を撫でて嫁が落ち着くのを待った。
「もっと大きな家にだったら良かったのに」
小さなつぶやきが嫁の口から零れ落ちた。
和幸はもう一度「ごめんよ」と応えた。
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