ゴミ捨て場の豪華なソファ

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 日中に雨が降った。そのため歩道には水溜まりが散見し、暗い夜空を映している。足を踏み外したら宇宙空間に真っ逆さまだ、和幸はそんなことを夢想して一足一足選びながら家路に就いた。  今日は帰宅が遅くなることを電話している。近くに住む母親に嫁の面倒を見るように頼んでもある。連日の深夜残業後ではあるが、その分昨日よりは気が楽だった。それに楽しみなこともある。 「へい大将! まだやってるかい?」  和幸は暖簾をくぐる仕草をして話しかけた。おどけた行動に対するリアクションは特にない。  ソファは依然変わらず佇んでいる。ただ昨日綺麗に拭いた生地は雨に打たれてしっとり濡れていた。そして至る所に小さな足跡。子供たちがトランポリンにして遊んだのは想像に難くない。思わず和幸は笑ってしまった。 「水も滴る良い女も子供相手じゃ形無し、ってわけだ」  和幸はコンビニ袋から粘着カーペットクリーナー、もとい『コロコロ』を取り出して砂を取った。  仕事中、ずっと頭をよぎるのはこのソファのことだった。座った時の至福のひとときを忘れることが出来なかった。今日もあのソファで疲れを癒そう、もっと綺麗に拭いてやったらどうなるか、そう思うだけで心がワクワクしてきて激務の辛さが和らいだ。独身だった時分には「今日はどの居酒屋で何を飲もうか」と考えたものだが、その時以来の感覚だった。  新品のタオルで拭き終わると汚れは一通り取り除けた。 「仕上げはコレだ」  最後に袋から取り出したのは香り付きの消臭スプレー。直接吹き付けてしまうのはどことなく品がないような気がして、香水を振りまくように中空に吹き出し粒子を満遍なくくぐらせた。ローズの香りがほんのりと漂い、より上品な雰囲気をソファはまとった。 「いかがですか? お嬢様」  妄想の中で「悪くないわね」とソファが応えた。  出来栄えに満足した和幸は、さっそく座ろうとしたのだが、時計はまたも次の日をさしていた。いくら何でもこれ以上遅れるのはよろしくない。 「今日はここまでだな。明日こそ、ゆっくり休ませてもらうよ」  満足感と未練を少し抱いて和幸は家に向かった。  今日は笑顔を作る必要はなさそうだった。
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