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人間、どうしようもない現実を目の当たりにすると、意外にも心穏やかなものである。時刻は七時五十六分。出社時間の八時まではあと四分しかい。会社は渋谷駅からセンター街を突っ切った先にる。そして今俺が居るのは二子玉川駅のホーム。急行に乗り、駅から全力疾走すれば間に合うのかも知れないが、あるいは間に合わなくても遅刻から数分であれば、息の切れ切れした姿を見せれば許され得る。しかし、電光掲示板には忌々しき緑の文字が照っている。遅刻は絶対である。
腹痛に耐え切れずに降車してトイレに向かったのが間違いであった。と、今失敗を自覚したかのように思ってみるが、実際は降りる時には気が付いていた。閉まるドアをすり抜けてホームに飛び出した瞬間、俺は遅刻を決断したのである。悠長に失敗を反芻していられるのは、痛みの解決による晴れやかさのせいだろう。諦めには清々しささえある。寧ろ鼻歌でも奏でてみたいところである。そう企てて実行してみたものの、音は死にかけの羽虫のように空中を漂う。心音が相変わらず強く胃を揺すっているのに気が付いたのはこの時だった。口内の水分が、全て汗として顔面に流れ出している。
仕方がない。逃避し得ない現実を逃避し、転換しようのない責任を転換するしかない。俺は、遅刻の主体を自分から会社に変えることにした。
言葉以上に難しい行為ではない。例えば、道を歩いていると自分が目的地に近付いているようにも、目的地が自分に近付いているようにも見る。あるいは、地図を見ながら目的地に向かう時、意識するのは自分の現在位置である。そうすると自然と地図の中心が自分となり、歩みを進める度に目的地が自分に近付いて来る格好になる。それらの要で、脳内で自分を定位置に固定し、会社の方を近付けてゆけば、移動しているのは俺ではなく会社ということになる。すなわち、遅刻しているのは俺ではなく会社ということになるではないか!
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