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(いや、マジで困ったな……どうしよう)
朝一の大家の襲撃の衝撃が抜けないままに、翔太はぼうっと午前中を過ごしてしまった。そもそも、昨日の千秋楽打ち上げの酒が抜けていない。だが、先ほどのは夢ではない。喉奥に少しだけ残るアルコールにぼうっとしながら、馴染みの美容室へとやってきていた。舞台の千秋楽が終わった後には髪を切る。それがいつものコースなのだ。スマホでちょこちょこと賃貸物件を探しているが、流石に三日後に入れる所などあるだろうか?誰か繋ぎで泊めてくれそうな友人を考えようにも、酒のせいで頭が回らない。
そんな翔太の様子に気づいたのだろう、担当美容師の海野東が心配そうに翔太の顔を覗き込んでくる。
「どうしたの?すごいため息ついてるね」
「ああ……東さぁん……」
「……どうしたの?引越し?さっきから物件情報見えてた」
「それが……」
翔太は東に事情を話した。もうここの美容室には長く通っていて、色々と相談できるよきお兄さんである。翔太の話を一通り聞いた後、東は堪え切れないように笑い出した。
「ちょっ、笑い事じゃないんすけどっ!」
「まあ、翔太くん、抜けてるからね」
「ええっ、ひどくないすか……」
「だって、この前だって通販の受け取り忘れて返品手数料かかったとか……お風呂場溢れさせたりとか、結構天然だよね」
「ひどいなあ、東さん……」
「結構な強面でしっかりしてそうなのにね」
「強面なこと、関係あります?それ」
「ごめんごめん」
そう言われてしまっては、もはや何も言い返せない。確かに自分は不器用で、天然っぽいというか間抜けというか……そういうところがあるのも否定できなかった。しかし、コトがコトなだけに、翔太は、はあ、と息を吐いた。
「でも、今回はまじでやばいんすよね」
「あー。来週から稽古?」
「そうなんす。ただでさえ合流遅れてるのに……」
「誰かと住んだら?稽古場近い子とか」
「そう思って、界人くんに頼んだら……あ、松木界人くんが今度一緒なんで……そうしたら、もう諒介くんが住んでるから無理って言われて」
「ああ、松木くんね」
次の舞台の共演者には知り合いが多かった。その中でも特別仲のいい松木界人がいる。美容室に来るまでに一度電話をかけてみたのだけれど、その時に「先約あり」で断られてしまったのだ。正確には先約どころではなく、二つ前の舞台からほぼ同居状態らしいのだ。それは流石にもう一人は入れないだろうと涙を飲んだ。
「はー、沿線で一番近いからいいなーって思ったんですけど、諒介くんいるなら、もう入れないなって。他の共演者さんはそこまで仲良くないし……他の奴らは今遠征とか舞台中の子が多くて、流石に頼めないなって」
「そっか。それは残念だね……」
そう言った東は少し考え込むような仕草を見せた。シャンプー台空かないのかな?なんて上を見上げて話しかける。
「東さん?」
「……ねえ、翔太くん。俺んとこ、住む?」
「えっ!」
しばらく経ってからの提案に翔太は驚き、思わず大きな声を出した。すると、東はそれを逆さに覗き込むようにして笑う。
「今度の稽古場って錦糸町あたりじゃない?舞台、北千住だっけ?」
「そうです!ってか、稽古場なんでわかったんすか?」
「この前、カナコさんと飲んでて。確かそんな話してたなと思って」
カナコさんというのは二人の共通の知り合いで、舞台メイクさんである。双方ともに長い付き合いで、そもそも東を翔太に紹介したのはこのカナコさんであった。
「俺の家、ちょっと歩くけど秋葉原に近いから、どっちも一本だし」
「まじすか!!」
「うん。引越しは遠くなっちゃうけど……いい?」
「大丈夫です!荷物ほとんどないし……あの、仮住まいなので……」
「ははっ、もちろん。来月の公演終わりまでぐらいでしょ?いいよ」
「まじで!東さん大好き!」
「はいはい」
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