1.着付師

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1.着付師

 背中がじわりと熱くなる。脇の下にべっとりと汗が滲み、服に染み出していく。先ほどまでちょうど良かった暖房が、今では暑くてたまらない。紫織は一呼吸置き帯締めを持つと、着付けをしているモデルの前に回る。  正面には師匠の柳原志津子がパイプ椅子に腰掛け、ストップウォッチを片手にこちらの一挙一動を見ている。瞼のたるみを加味しても尚ぱっちりとした大きな二重を見る度に、紫織は自分のやり方がこれでいいのかとたじろぎそうになる。  着付け師派遣の実技審査も終わりに近づいている。この審査に合格すれば、三十三歳の紫織は柳原チームの最年少着付け師として派遣認定されることになる。  師匠柳原志津子は着つけ教室を主宰する一方で、柳原チームとして呉服やブライダル関係の企業と契約し、教え子や他教室から紹介されてきた着付師を店舗や結婚式場に派遣する事業も行っていた。冠婚葬祭の時くらいしか着物を着ることはなくなり、自分で着る人も少なくなっていくなか、着物を着慣れない人も楽に過ごせ、長時間着ていても着崩れすることもないと柳原チームの評価は高く、業界でも実績は右肩上がりになりつつあった。   着付師として派遣されるには、柳原が実施する実技審査に合格しなければならない。実技審査までの連日の稽古のおかげで、紫織は紐や帯を締めるために力を入れると手に痛みを感じる。  帯締めを衿元の打ち合わせと同じ方向に合わせると、二回掛けて一結びする。指に力を込めると、ぢゅうっと糸のしなる音がする。最後まで結び終えると、両側に房を挟み込んで始末する。指先を離すと一歩下がり、モデルの全身を一瞥する。帯の下線に小さなしわが寄っている。普段動いていれば気にならないくらい細かなしわだが、記念撮影をする時には見逃せない。紫織はモデルの側に膝をつき、帯の下線に指先を入れ、左右に沿わせる。立ち上がって後ろに回ると、結んだ帯の形をさっと見る。左右に扇形に広がった羽根と、羽根の真ん中から末広がりになったお太鼓の大きさは、ちょうどいいバランスを保っている。  紫織は正面に戻ると、もう一度全身鏡をちらりと見る。一歩下がるとモデルの左側に膝をつき両手を膝の前で合わせ柳原に向かって一礼する。 「二十五分」  柳原は椅子から立ち上がると、ストップウォッチを持ったまま紫織のところへ来る。モデルの全身を一瞥すると後ろに回る。  
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