三浦しをん

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三浦しをん

 太宰治賞選評より 2009年  その感情や出来事を経験しなかった人にも的確かつ深く伝えるための仕掛けが「物語」であり、「物語」を研いだ文章という手段で表現するのが「小説」なのではないか。 2010年  読者をより作品世界に引き込むためにもう一歩何が必要なのかと考えると「客観性」という言葉が浮かぶ。(中略)客観性の有無とはつまり、他者に向けて開かれた物語を紡ぐための様々な工夫ができるか否かだ。(中略)ただ、肝心の各人の事情がやや類型に流れすぎるきらいがある。「どこかで聞いたことにあるエピソード」の域を出ず、「たしかにあり得るけれどいままで自分(読者)の中で明文化されていなかった」という心情を描くには至っていない。(中略)ユーモアは客観性から生まれる。深刻さや哀しみに決して耽溺することなく作者はひたすら描写の積み重ねによって読者に心情と状況を的確に伝える。(中略)たとえば登場人物が哀しい時に作者が「哀しい」と説明してはだめなのだ。説明しきれぬ哀しみを抱え、登場人物は作品内で生きているのだから。もし説明できるのであれば小説で書く必要も情熱も生じるはずがないだろう。「あたらしい娘(*こちらあみ子の応募時タイトル)」は小説は説明ではなく描写で成立すると証明しているし、それは同時に人間は説明しきれぬ感情や言動で構成された生き物であるという真実もあぶりだしている。
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