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副島久里子(そえじまくりこ)は誰もいない公園で、ランドセルに書かれた落書きを消していた。ハンカチに含ませるのは、理科室から持ち出した薬品だ。公園に設置されたスピーカーから、声が流れ出す。
「もうすぐ五時になります。できるだけ早くお家に帰りましょう」
帰れない子はどうしたらいいんだろう、と久里子は思う。お母さんは怒ってばかりだし、ランドセルの落書きを見たら学校に怒鳴り込むだろう。そんなことをされたら、もっとひどいいじめにあう。
ずっとここにいたいな。久里子はそう思う。誰にも見えない透明人間になって、ここに住む。きっとさみしい思いをするだろうけど、今だっておなじだ。今だって久里子は、透明人間みたいなものだ。
久里子が唇を噛むと、隣のブランコがカシャン、と鳴った。久里子はそちらに視線を向ける。髪の長い、とても綺麗な女のひとが座っていた。彼女は久里子を見て微笑む。
「こんにちは」
久里子は慌ててランドセルを背後に隠す。
「こ、こんにちは」
「私、鈴音っていうの。あなたは?」
「久里子」
「可愛い名前ね」
久里子は頬を赤らめた。
可愛いだって! そんなこと初めて言われた。名前はいつだって、からかわれるネタになるだけだった。鈴音が立ち上がると、ブランコが揺れた。
「ねえ、久里子ちゃん、私のお家に来ない? 可愛い猫ちゃんがいっぱいいるのよ」
久里子は頷きかけて、うつむく。
「……遅くなるとお母さんが怒るから」
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