窓ガラスのキャンバス

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「丸川さん、名残惜しいでしょうが、今日はこれから風が強くなってくるそうです。この大荷物では大変ですし、電車が止まってしまえば殊更ですから、できるだけ早くお帰りなさい。それにきっと、お昼もまだなのでは? お腹もすいてくる頃でしょう」 「そう言えばそうでした」 思わずお腹に手を当てた。 「では白井先生、これを。来週の会議に必要な書類などの用意よろしくお願いします」 教頭はプリントを数枚、彼に手渡した。 「わざわざ御足労ありがとうございました」 「丸川さん、卒業おめでとうございます。どうぞこれからも、元気でやってください」 「ありがとうございます。先生もお元気で」 ニコリと微笑み、教頭は美術室を去って行った。 「……ありゃ、色々見透かされてんな」 「そうなの?」 「あの人はおっかない人なんだ。たぶん俺とお前が昔馴染みだってことも知ってんじゃないか?」 「えー、私誰にも言ったことないけどなぁ」 風が強くなるならば、私も早く帰ろう。用意してもらった大きい紙袋に工作品と画用紙を詰め込む。 「それじゃあ帰るね」 「いや待て、忘れ物あるぞ」 「え、これで全部じゃないの?」 「全部じゃないぞ。ほら、手出せ」 言われるがままに手を出すと、銀色の鍵が手に落ちてきた。 「それ、俺の部屋のだ。もう教師と生徒じゃないからな。これからはいつでも来いよ」 「え、何その偉そうな言い草。私が行ってあげるんでしょ」 悪戯っぽく笑う彼に、私は力いっぱい睨む。が、効果はないらしい。落描きを施した窓に目をやると、最初に描いた犬の散歩をする人や、彼の描いたクジラは姿がぼんやりしていた。 「まぁどっちでもいいよ。新生活落ち着いた頃でも、なんとなく家にいたくない時でも、白井真白になりたくなった時でも、俺はいつでも待ってるから」 「…卒業証書もらったとはいえ、私まだ制服着てるんだけど、そんな堂々と生徒口説いていいの?」 「禁断の空気を楽しめるのは今日が最後だからな」 「馬鹿じゃないの?」 じゃあね、と勢いよく美術室の扉を左手で閉めた。右手にはしっかりと貰った鍵を握りしめて。 * 白井の残った美術室の窓ガラスには、二人のらくがきがまだ少し残っていた。 最初のものは白に戻りつつあったが、最後に描いた結婚式と、彼女の描いた桜の花びらだけは、薄ぼんやりとだがハッキリと形を残していた。
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