クジラ雲

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「ねぇ……あれ瑞穂先輩だよね」 隣に立つ奈津美が私の制服の裾を引っ張り、ひどく不安な顔を向けている。たぶん私も、奈津美と同じ顔をしているのだろう。顔が強張っているのか、すぐに声が出ない。 「……うん」 何が起きているのか、分からなかった。 だけどここに居合わせるのはよくない。 そう第六感みたいなものが、身体を戦慄かせる。 「行こ……」 奈津美に腕をつつかれ、金縛りが解けるように自然と足が前に出る。 だけど視線だけは細かな糸に絡め取られたみたいに、動かすことが出来ない。 全然違っていたのだ。 昨日保健室で見かけた彼と、今、目の前にいる彼。 魂が抜け落ちたみたいに、無表情で。 まるで──…… 「人形みたい」 「え?」 教室に戻る道すがら、無意識に口からこぼれた。 「中庭にいた人、実はさっき話してた昨日の保健委員なんだけど……雰囲気が全然違っててさ、別人みたいだった」 「あの引っ叩かれてた人?」 「え、引っ叩かれてたの?」 目を丸くする私に、奈津美は人差し指を突き出しながら細めた目を向けた。 「どこ見てたのよ、物凄い剣幕で怒鳴られてたじゃん。あれは浮気とか、痴情のもつれだね。綺麗な顔だったし。うん、間違いない」 「ウソだぁ」 そんな悪い感じの人には、全然見えなかったのに。顔が良いと、やっぱり心は悪魔になるのだろうか。この奈津美みたいに。 「何よ、なんで私を見るのよ。私は痴情のもつれとか、そんな要領悪い事はしないんだから」 「それ、要領の問題なわけ?」 「見ぬが仏、聞かぬが花ってね」 「つまり、下衆(げす)ってことだよね」 「そうとも言う」 飄々と言ってのけながら、奈津美が大きな二重の潤んだ瞳を瞬いた。濡れたように長い睫毛が、全ての邪念を払いのける羽根のようだ。 やっぱり、この手の顔はズルい。 あの保健委員もそうだけど、何を考えているのか、綺麗すぎてさっぱり分からない。
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