119人が本棚に入れています
本棚に追加
「ねぇ……あれ瑞穂先輩だよね」
隣に立つ奈津美が私の制服の裾を引っ張り、ひどく不安な顔を向けている。たぶん私も、奈津美と同じ顔をしているのだろう。顔が強張っているのか、すぐに声が出ない。
「……うん」
何が起きているのか、分からなかった。
だけどここに居合わせるのはよくない。
そう第六感みたいなものが、身体を戦慄かせる。
「行こ……」
奈津美に腕をつつかれ、金縛りが解けるように自然と足が前に出る。
だけど視線だけは細かな糸に絡め取られたみたいに、動かすことが出来ない。
全然違っていたのだ。
昨日保健室で見かけた彼と、今、目の前にいる彼。
魂が抜け落ちたみたいに、無表情で。
まるで──……
「人形みたい」
「え?」
教室に戻る道すがら、無意識に口からこぼれた。
「中庭にいた人、実はさっき話してた昨日の保健委員なんだけど……雰囲気が全然違っててさ、別人みたいだった」
「あの引っ叩かれてた人?」
「え、引っ叩かれてたの?」
目を丸くする私に、奈津美は人差し指を突き出しながら細めた目を向けた。
「どこ見てたのよ、物凄い剣幕で怒鳴られてたじゃん。あれは浮気とか、痴情のもつれだね。綺麗な顔だったし。うん、間違いない」
「ウソだぁ」
そんな悪い感じの人には、全然見えなかったのに。顔が良いと、やっぱり心は悪魔になるのだろうか。この奈津美みたいに。
「何よ、なんで私を見るのよ。私は痴情のもつれとか、そんな要領悪い事はしないんだから」
「それ、要領の問題なわけ?」
「見ぬが仏、聞かぬが花ってね」
「つまり、下衆ってことだよね」
「そうとも言う」
飄々と言ってのけながら、奈津美が大きな二重の潤んだ瞳を瞬いた。濡れたように長い睫毛が、全ての邪念を払いのける羽根のようだ。
やっぱり、この手の顔はズルい。
あの保健委員もそうだけど、何を考えているのか、綺麗すぎてさっぱり分からない。
最初のコメントを投稿しよう!