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階段を下りながら隣を窺う。
何と数奇な運命なのか、なぜ私の隣をあの保健委員が笑顔で歩いているのか。深く考えると頭痛がしそうなので、とりあえず考えるのは止めた。
「そういえば、クジラさんは富永先生と仲良いの?」
「あぁー、あの人の弱みを僕が握ってる」
しれっとした顔で彼が微笑む。
こういう表情は奈津美を見ているかのようだ。
「まさか、よからぬ取引現場を目撃したとか!」
「どんな取引だよっ!」
彼の笑い声が、放課後の人気の無い階段に反響している。
「莉子ちゃんも見たでしょ?」
「えっ」
莉子ちゃん……
「煙草だよ。うちの学校は教師も禁止だから。その口止めとしてコレを借りてる」
そう言ってキーリングにぶら下がる二本の鍵をポケットから取り出した。なるほど、それで鍵を返せとメモが置かれていたのか。
『トミーさん』から、ね。
「何? どうしたの?」
ほんの僅かに吹き出してしまったのを、彼は見逃さなかったらしい。きょとんとして階段を下りる足を止めた。
「いえ、ちょっと保健室で見たメモが可笑しくて。トミーって」
「あぁ、あれね」
そう言って呆れた様に笑うと、止めた足をまた階段へと踏み出した。
「なんか憧れてるらしいよ、外国人っぽい名前」
もしかしたら、富永先生とは単なる養護教諭と保健委員の関係ではないのだろうか。
時折見え隠れする表情の真意は、綺麗な皮で隠されているみたいに読み取れない。
「それで富永だからトミーってこと?」
「そ、単純すぎて子どもみたいだよね」
「うん、もうあの強面にトミーとか、想像しただけで吹いちゃう」
確かにトミーとか、マイクとか、ありきたりでいかにも外国人の名前というイメージがある。
それに比べると……
「クジラって名前、なかなか珍しいよね」
ご両親がクジラ好きなのか、何処かの国では別の意味があるのか。何かそれなりに理由はあるのだろうけれど、随分とストレートな名前をつけるものだと感心していた。
この名前なら、一度聞けば忘れない。
「ねぇ、何か勘違いしてる?」
茶化した様に聞こえてしまったのか、はたまたコンプレックスでも抱えているのか。
無言でこちらを見る彼の眉間には、うっすら皺が寄っていた。
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