魚行きて水濁る

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「思った事を言っただけだ」 千葉先輩を支えながら、ベッドの手前にあるソファへと誘導すると、富永先生はそのまま戸棚へと向かった。ソファに沈み込むように腰を下ろした千葉先輩は困惑した表情を浮かべている。 「なぁ、千葉先輩と富永先生て仲悪いのか?」 杉村が聞こえないように小声で漏らす。 「そんなの、知らないってば」 こんなに感情的になる千葉先輩を見たのは初めてだった。 清濁併せ呑む度量の大きさで、自信に溢れ、どんな事にも臆さず向かっていく。そんな千葉先輩が明らかに富永先生を厭う顔をしていて、私も、恐らく杉村も、早くこの場から立ち去りたいと思っていたに違いない。 けれど、富永先生は容赦なく事態を悪化させていく。 やっぱり「そっちの筋の人」なんじゃないのかと、本当は生徒の事なんてオモチャ程度にしか思っていないんじゃないのかと、疑念を抱かざるを得ないほどに。 「魚住、悪いけどちょっとコレ渡してきてくれ」 「誰にですか?」 「屋上に、クジラ(・・・)がいる」 千葉先輩が目を瞠る。 不安とか怒りとか、そんな単純なものではなく、もっと複雑に錯綜(さくそう)した感情がこぼれ落ちるかのように。 そんな眼を、千葉先輩は私に向けた。
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