魚行きて水濁る

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杉村を保健室に残し、中階段を上がる。 先日この階段を上った時はあんなに足が軽かったのに。今は一歩踏み出す足が、床にめり込んだみたいに離れようとしない。 あんな千葉先輩の顔を見たのは初めてで、やっぱり瑞穂先輩の時といい、森塚先輩の時といい。クジラさんが絡むとみんなの様子が変だ。 右手には富永先生から渡された紙切れが一枚。 この前のメモと同様、ノートを破っただけのもの。わざわざ私に屋上まで行って、これをクジラさんに渡せと頼む必要性など、きっとどこにも無い。 あるとすれば、富永先生が作為的にこの状況を仕組んだとしか思えない。なぜ? ───屋上にクジラがいる この言葉を、千葉先輩に聴かせるため? 私と彼が知り合いだと、千葉先輩に教えるためだとしたら? でも何のために? 「はぁ……もう、わけわかんない……」 三階の踊り場を過ぎ、更に上階へと続く階段に、重たい足をかけた時、 「あれ? 莉子ちゃん、どうしたの?」 見上げた先には、陽だまりみたいに笑う、彼がいた。 「クジラさん……」 ───疫病神 喉の奥がぎゅっと締まる。 先輩達の声が、また耳の奥を蝕んでいく。 「何かあった?」 「富永先生に、コレ渡してきてくれって預かって」 右手に握っていた二つに折り畳まれた紙を差し出す。白い手がスッと伸ばされ、紙を受け取るとそれを開いた。彼の瞳が僅かに細められる。 「コレ、中見た?」 視線は紙に向けたまま、彼が優しい口調で訊ねる。 「まさか、クジラさん宛てみたいだし、勝手に見るなんて───」 「そっか、ならいいや」 手と一緒に、握っていた紙をズボンのポケットへと押し込むと、階段を下り、私の前で足を止めた。 「雅也くん、大丈夫だった?」 そして彼はやっぱり、屋上から私たちを見ていた。
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