魚行きて水濁る

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「軽く捻っただけみたいだし、大丈夫だと……」 「そっか……良かった」 そう言って、彼は酷く安堵した様に小さく息を吐き出した。 張り詰めた緊張を解くように、まるで大切な人を想うように。そんな表情をする彼を、引き止めずにはいられなかった。 「あの!」 声をかける私の横をすり抜けるようにして、階段を急ぐように下りていく。 「待って!」 彼の背中を追いながら、先輩達は誰かと勘違いしているのではないのかと思えた。『疫病神』なんて蔑称で呼ばれるのも、本当は大きな誤解があって、彼もまたそんな状況に悩んでいるのではないのだろうかと。 「待ってクジラさん! あの、千葉先輩のところにっ」 「行かないよ」 「え……」 「溶けちゃうからね。 雅也くんの色気で、莉子ちゃんの脳がさ」 こんな風に軽口をたたくところも、本当は彼なりの精一杯の強がりで、平気な振りをしているんじゃないのだろうかと。 「ちょっと、クジラさん! それは禁止!」 「はいはい、口は堅いから安心して」 「どこがっ! 今涼しい顔して言ったじゃん!」 「あはは、そういう顔なんだよ、諦めて」 だからもし、君が悩んでいるのなら。 この陽だまりみたいな笑顔が、精一杯の強がりなのだとしたら。その悩みの十分の一でもいい。たった一言でもいい。 私に話してくれないかな───なんて。 そんな浅はかで能天気な考えしか浮かばない自分に、吐き気がした。 「魚住……なんで」
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