魚行きて水濁る

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階段下に、杉村に支えられた千葉先輩が立っていた。 その視線は隣に立つ彼に向けられ、先程まで笑っていた彼の瞳からは、もう光が失われていた。 千葉先輩が何かを言いたそうに一度開きかけた口を、躊躇う様に閉じる。 沈黙が、真っ黒な蔦のように絡みながら、足元からせり上がってくる。 空気が、泥水みたい。 重くて、濁って、身動きが取れない。 息をすることすら(はばか)られるみたいに。 「じゃあね、」 泥水の中を、泡が一つ浮いて弾ける。 「富永先生の手紙、助かったよ、」 彼が一つ言葉を紡ぐ度、泡が浮いて、消える。 「魚住さん(・・・・)」 弾けた泡みたいに。 まるで最初から無かったみたいに。 まるで最初から居なかったみたいに。 あの日見た、光を通さない瞳が───音も無く千葉先輩の前を通り過ぎた。 「理人(りひと)!!」 杉村の腕を払い、千葉先輩が足を踏み出す。 伸ばした手は彼のブレザーを僅かに掠め、空を掻く。 私と杉村は、取り残された雑草みたいに、ただそこに居るだけ。 「足、お大事に」 「待てって!!」 ただ居るだけなのに、分かってしまう。 「また、怪我するよ、僕といたら」 「あれは違うだろっ!!」 「違わないよ」 どうしようもなく遠くて、どうにもならない距離が存在することを。 どうすることも出来ない想いは、ただ首を絞められるみたいに、苦しみしか残らないってことを。 「僕は雅也くんの、疫病神だから」 「何言ってんだよっ!!」 君の笑顔は、決して陽だまりなんかじゃなかったってことを。
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