魚行きて水濁る

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「やっぱりいい……」 保健室の前に差し掛かると、先程より顔色も良くなってきた千葉先輩が森塚先輩の腕を掴む。 「は? 何言ってんだよ、富永との約束だろ」 「そうだけど……」 幼い子どもみたいな顔で、千葉先輩が目を伏せる。 約束って何なのだろうか。 面倒そうに頭を掻きながら、森塚先輩が保健室の扉を開ける。廊下に出るところだったのか、目の前に富永先生が立っていた。 「何だ、もう来たのか」 「もう(・・)?」 不審に満ちた表情で森塚先輩が鋭い眼を富永先生に向ける。まるで来る事が分かっていたような口ぶりだ。 森塚先輩の背中に隠れるようにして、千葉先輩は二人のやり取りから意識をそらしているようだった。 いつもの自信に溢れた先輩はなりを潜め、黒い瞳の奥は蝋燭の灯りみたいに、ゆらゆら揺れているように思えた。 「何分くらいだ?」 「俺が確認してからだと10分弱くらいだから、ちょっと前に始まったとして15分てとこです」 「長いな」 以前にも同様の事があったのだろうか。 質問の意味が私には理解できなかったけど、富永先生は森塚先輩の回答に思惟するように頷く。 突っ立っていた私たちを奥に入るようにと促しながら、保健室の扉を静かに閉める。 張り詰めた異様な空気が満ちていた事に気付いたのは、その直後だった。 「総体は止めとけ」 鋼のような声が室内を震わせる。 私の前に立つ千葉先輩の肩が小さく跳ねた。 「ちょっ、先生、待てって、たかが一回出ただけだろ! 怪我はもう治ってんだし───」 縋るように森塚先輩が声を荒げる。 それを拒むように富永先生が「チッ」と小さく舌打ちをした。 「馬鹿が。怪我なんてな、寝てりゃ治んだよ。厄介なのは内側だろーが。薬なんてねーんだよ。お前らがそうやって仲良しごっこばっかりしてるからツケが来た。そんだけの事だ」 何の話をしているのか、誰の事を言っているのか。 理解するのが怖くて、耳を塞ぎたかった。 でも逃げられない。 勝手に踏み込んだツケが、私にも来たんだ。
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