魚行きて水濁る

23/29
前へ
/219ページ
次へ
「どこにでもある凡用性の使い捨てライター。名前も何も無い。俺のものかも知れないし、拾ったものかもしれない、誰かから奪い取った可能性もある。つまり、ライター1本見つけた所で、誰のものかなんて調べるのは不可能だ。なら、もしお前らが放火犯だとして、抜き打ち検査が始まればどうする?」 そのんなのもちろん、 「……捨てる……」 けど、クジラさんは捨てなかった。 「じゃあ逆に、捨てないとしたら、その理由は何だ?」 捨てない理由。 捨てたくても、捨てられなかった? それとも、あえて捨てなかった? 後者だとしたら、何のためにそんなリスクを……クジラさんにとって一体何のメリットに繋がるんだろう。 まるで、故意に自分へ疑いの目を向けさせたいみたいじゃ─── 「恐らく、鯨井は誰かを庇ってる」 丸椅子がギシと音を立てた。 前屈みになった富永先生が見つめる先は、千葉先輩だった。 「そうだろ? 千葉」 一言も喋らず、ただ何もない宙を凝視していた千葉先輩の瞳が、ゆっくりと見開かれる。 「どういう……事だよ、千葉。お前……あの放火に関わってんのかよ!」 森塚先輩の強張った顔が向けられた先、俯いた千葉先輩は固く組んだ手の上に、まるで祈るように額に当てた。 「こんな……こんな事になるならっ、……あの時、俺だってもっと必死に止めてた。あいつの全部を奪うなんて分かってたらっ、俺が階段から落ちなかったら、こんな事にならなかったんだ」 水の底に沈んだのは、私じゃなかった。 「まさか……千葉の怪我も……鯨井じゃなかったって事かよ!」 きっとずっと前から、クジラさんも、千葉先輩も、溺れていたんだ。 「俺……怖いんだ、あいつが疫病神って呼ばれるようになって、どんどん悪者のレッテル貼られて、俺たちから遠くなっていく姿を見る度に。いつか消えるんじゃないかって、ずっと怖くて仕方なかった……」 呼吸が出来なくて、もがいている彼等を見て、 「もしかしたら理人は、全部自分の所為にして、」 私はきっと、 「死ぬつもりなんじゃないかって」 溺れた気になっただけなんだ。
/219ページ

最初のコメントを投稿しよう!

119人が本棚に入れています
本棚に追加