第1章

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ーーお母さん、迎えにきたよ。今まで連絡できなくてごめんね。 20年ぶりに再会を果たした娘は、私が想像していたよりもずっと立派になっていた。ずっと連絡したかったのだが、勝手に出ていった手前気まずかった、また会えてよかったと、殊勝なことを言っていた。 こんなことを言っては怒られるかもしれないが、駆け落ち同然で家を出て行った娘のことを、私は落ち込みながらも、どこかで、うまく行くはずがない、どうせすぐに泣いて戻ってくるはずだと、決めてかかっていたのだ。 けれども私の予想は外れ、娘は泣いて戻ってくることはなかった。 駆け落ちをした男とはその後すぐに別れたらしいが、働きながら出会った人と結婚し、まだ小さな娘を育てながら、田舎のごみ屋敷で野垂れ死にかけていた母親を引き取り、老後の面倒まで見ている。我が娘ながら、立派だ。 親が心配しなくとも、子供は知らないうちに逞しくなるのだと、安心したような、少し寂しいような、複雑な気持ちになった。 ここの暮らしには、概ね満足していた。 冬でも暖かい部屋で寝起きでき、料理はおいしいし、充分に栄養もとれる。掃除が隅々まで行き届いていて、清潔なお風呂にも入れる。スタッフもみないい人だ。入居者の大半は認知症が進んでいて、いま話したことも次の瞬間には忘れているような人ばかりだが、その場限りの会話は後腐れがなくていい。娘も孫も大人で、自立して立派にやっている。 なにも不満はない、むしろ贅沢すぎるくらいの生活だ。 でも、私の心は、ここにはなかった。 きっと、夫と暮らしたあの家のどこかに、置き忘れて来てしまったのだろう。
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