第一章 毒親になる母と父 -幼少期-

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私は、父と母の一人娘として産まれた。 母は、父とは再婚で初婚の男性との間に娘(私と一回り違う)が居た。 その男性からの暴力に耐え兼ね、娘を残し地元に戻ってきた。 なんとか離婚にこぎ着けたのは随分経ってからだそうだ。 はっきりとは言わなかったが、母と父は母の働くスナックで知り合ったようだ。容姿の悪い父は母にすぐに惚れ込んだ。 父は当時有名な大手企業に勤めていた。 中卒の学歴もなく貧乏な母からすれば、この男とうまく付き合えばお金に困らないと味をしめたらしい。 しかし、父の母への惚れ具合は凄かったようで、ホテル代がバカにならないからと籍を入れることになったようだ。 母の両親からは「こんなバカ女にこんな立派な男性は勿体ない!」と恐縮がられ、父の両親からは「こんな子供を捨ててくるような女!」とかなり猛反対されたそうだが、父がぞっこんなことに母は漬け込み、上手く結婚までこぎ着けたようだ。 母は一度出産したこともあり「わたしは、もう子供ができないかもれない」と告げていたようだが、すぐに妊娠し、わたしは産まれた。 母33 父34だった。 父は、母に悪い虫が着かないようにと家から母を出すことを極力避けさせた。もちろん、父と結婚してからは生涯専業主婦だった。 それなのに、買い物も父が仕事の帰りに行くか休みの日に3人で行くか。わたしの学校行事を全て父のみが出るほどだ。 父は職場が近かったり、維持費がどうだ。とか、酒が飲めなくなるとのことで、ペーパードライバーを貫いた(車も所有してない)。家族でどこかに出かける。そんなこと本当にしたことがなかった。 行くのは近くのパチンコからのカラオケスナック。よくわたしを連れてで行っていた。 母の楽しみはそれと、わたしだった。 当時、父の会社の社宅に住んでいたが子供会、学校行事に行かない母は知り合いがいなかった。 昔からの友人も全く居なくなっていた。 母の姉や母の両親は家が遠く、なかなか会いに行けず何より家から父が出さなかった為、母は実家に行くこともできなかった。 尚更母の愛はわたしに向く。 きっと身勝手ながら置いてきた娘とわたしが被ったのだろう。もう…娘を失いたくはない。 当時、誘拐や子供の殺人など殆どない時代だった。 が、まれにあると大々的に報道された。 母は報道があると、私まで失うのを強烈に恐れた。 毒親の始まりだ。
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