第四章 ターニングポイント

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とにかく父は、自分の思い通りにならないと腹を立てる。 「○○らしいよー」なんて話をしても、納得することは100%ない。「そんなわけない」と必ず否定をする。 孫の運動会などのDVDを見るか聞いても「毎日のように顔を見るのに~」など言う始末。だから腹が立つ。 会話が続かない。話をしたくなくなる。母もよく言った。 そして、キレると、一気にカーーー!!!!っと熱が上がる。 勢いに任せ、怒りを爆発させ気持ちをぶつける。 すぐに冷静になり。自分のしでかした事に困惑する。不安になる。 結果、気が弱い。 育児をきちんとしてきた訳ではない。娘を褒めることはない。ただ食べ物を買い与えるだけ。誉め方を知らないのだろう。父に遊んで貰った、褒めてもらった記憶はない。ただ、食べ物は満足に与えられた。ただそれだけ。 父はよく言った「お前(母)は妊娠しない!って言うから籍入れたのに、すぐ妊娠しやがった」冗談なのだろうが、わたしの前でよく言うわ…と。母もわたしも無言になる。 母の還暦で鹿児島まで車で旅行に出掛けた。 帰りの車で、小さなことで腹を立て「新幹線で帰る!」と車を飛び出して行った父。 新幹線で家に着いた頃、気持ちが落ち着いたのだろう。 「今家についたー。運転気をつけて」 と何事もなく留守電が入る。 こっちは車の中が、お通夜みたいになっているのに、自分の気持ちが収まれば呑気なものだ。 家に着けば「新幹線がどーだったこーだった」と普通に話しかけてくる。父なりの謝り方なのだろう。 こんなエピソードはよくあった。 わたしが結婚をする前、母の念願だった北海道へ3人で行った時も、些細なことで喧嘩が始まる。 小樽のホテルでの朝、「俺は先に飛行機で帰る!!」とホテルを飛び出す父。 母と二人「いつもの出た」と呆れる。 ところが、ロビーになに食わぬ顔で居て「さ、行くか」と。さすがに北海道からは帰れなかったらしい。 こっちのテンションの浮き沈みを考えて欲しいくらいだ。そのあとのわたしたちのテンションは、やっぱりお通夜だ。楽しくなるわけはない。あのあと無言で食べた海鮮丼は味がしなかった。 母は言った。「パパと、旅行は二度と行かない」。 免許もとり、旅行と言えばわたしが母を連れ出すようになり父はよく、(わたしに)ヤキモチを妬いたと母は言っていたが。 そんな人と出たくなくなるのは普通だ。 父と行く旅行も買い物も自分本意で楽しくない。 母は生涯、父と二人で旅行に行くことも行ったこともなかった。 父がこうでなければ、母は全然違った人生を歩んだと思う。 父が穏やかなら?毎日お酒を母は飲まなかった? 父に車があれば、一緒に遠出を楽しんだのか?紅葉を見たのか?夜景を見たのか? だが、母の甘さゆえ選んだ父。 そして、生まれたのがわたし。 どこが違えば…なんてわたしにはわからない。 ただ、母に罵倒される時、父に嫌悪感を抱く時、わたしは生まれてこなければ良かった。と何度も思ってしまっていたのだ。
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