第四章 毒親からの解放のために。

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きっと、母は幼少期に問題があったからこんな性格になったのだ。わたしと結局一緒なんだ。とわたしは、勝手に思っていた。 母の父(以下 祖父)は、男の子二人 母の母(以下 祖母)は、男の子一人を連れ再婚した。 二人の間に生まれた長男(母の兄)、そして待望の女の子(母の姉)が産まれた。それから、母が産まれたのだ。 祖父の連れ子二人は大きかったためすぐに自立し、祖母の連れ子は、子供に恵まれなかった祖母の姉の養子になったそうだ。 貧しかった祖父たちは、3人目、ましては女の子の母を望んでなかったそうだ。 母の姉は綺麗で賢く明るく、母はいつも影みたいな存在になっていた。と言っていた。 祖母は、話を良く聞いてくれるが自分から自分の話をするわけではなく、よく笑うが、普段は物静かな穏やかな可愛らしい祖母だった。 母は、大きくなり小さい頃甘えられなかった分母に甘えたかったのだろう。 しかし、そのためには何をすればいいかわからず、とにかく働いて、お金を祖父母に渡し、何かを買ってきては渡したり尽くしていた。ただ、いつも嘆いていたのは わたしがどれだけ尽くしても、何をしても最後に頼るのは、名前を呼ぶのは、姉の名前ばかり。わたしは結局何をしても可愛がられない。と何度もわたしの前でも泣いて話していた。 わたしがそれに困り、ちょっとで話を聞くのに嫌そうな顔をすれば「ばぁちゃんは話を黙ってずっときいてくれたのに!あんたはきいてくれたことがない!あんたは最低よ!!」と祖母と謎の比較をされ、罵倒された。 それに対し何か言えば「わたしはばぁちゃんに口答えしたことなんてない!あんたはいつも親の私に口答えをする!わたしはあんたの親よ!!」と言う。 「そんなことがあったんだね…ママ可哀想だね…わたしがいるよ!!」とでも言えば良かったの? 母は、若くして酒を覚え、きっと水商売をして来たのだろう。酒を飲まない日はなかっただろう。 わたしが知ってる限り、入院以外は毎晩昼過ぎから飲んでいた。7割りほど水で薄めた焼酎を飲むが、それを6時間ほどダラダラ飲むのだ。結局量は多くなる。 酒を飲んだ時の短期記憶はほとんどなく。朝には何もなかったようにケロっとしている事が多い。 ただ、自分が腹が立った言葉などは、ずっと覚えているし、悪く盛られ覚えており、否定してその場は理解しても、ずっと言い続ける。 特に自分の幼少期の話はよくする、長期記憶はすごいのだ。 母は完全なアルコール依存症。アルコールによる記憶障害が起きていたのだろう。
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