第四章 毒親からの解放のために。

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祖父はわたしが21歳の頃、脳梗塞になりそのまま寝たきりになった。 親戚から、あなたは医療関係だから詳しいでしょ。と色々任された。 脳梗塞発症から2年程で祖父は亡くなった。 その後、祖母は一人暮らしになったが入退院を繰り返す。その度にわたしは、母を連れ病院を往復した。 それから、祖母は施設に入所することになった。 母の姉から、葬儀は私たちが全部するからと、入所中の祖母の世話を全て私たちに任された。 とはいえ、車がない母。結局世話はわたしだ。 施設の場所はは、不便で車でも一時間程かかるようなところにあった。わたしが母を送り迎えをした。 祖父母の件で母は、わたしに感謝をしてくれていた。 というより、わたしに気を使っていて嫌だった。と言われた。 わたし的には、仕事も子供の事もあり、きついときもあったが、母の機嫌がよくなるなら。と思ったのと祖父母には恩があるし、仕事柄祖父母の世話を苦に感じることはなかった。 母はこれだけわたしが(世話)しても祖母に会って名前を出すのは、長女(母の姉)ばかりだった。といつも嘆いていた。 「姉が全然来ない。姉はどうしてる?」と言う祖母。 「わたしがどれだけしても、長女が好き。わたしなんて本当に要らない子。」そう母はお酒を飲んではわたしに嘆いた。 たまに、母は祖母を外出させたいとわたしに頼んだ。 介護タクシーは高いので、わたしが自分の車に祖母を乗せて実家に連れて行き、母が食事をさせたり話したりして、わたしが送る。というのを時折した。 ある日の事、祖母を連れて家に戻ると昼前にも関わらず様子がおかしい母。母にお酒が入るとわたしは雰囲気でわかるようになっていた。 キッチンには、コップがある。 匂うと、中身はやはり焼酎だ。 母のアルコール依存症には限界が来ていたため「ばぁちゃんが来てるのに、来る前から飲む必要なくない!?」と強く言った。 母は、ばつが悪そうにするだけだった。怒らなかった。 それから、祖母送り終え実家に戻ると、泣きながら怒りながらわたしに母は言った 「ばぁちゃんに、死ぬ前に聞きたかったんよ!「わたしと長女とどっちが好き?って。なんで長女ばかりなの?わたしは要らない子だったの?」って。お酒を飲んだ勢いで聞こうと!あんたのせいで聞けなかったじゃない!」と。 申し訳ないとは思ったし、後悔はしたが、わたしはその理不尽さに納得出来なかった。
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