第四章 毒親からの解放のために。

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母も夜ご飯をしっかり食べる訳ではないので、あるものを摘まみながらの晩酌が始まる。ダラダラして21時くらいには眠ろうとする。 不眠だといつもわたしに言っていた。 毎晩焼酎を飲み、睡眠薬を服用した。 焼酎は4リットルのボトルが1ヶ月で3本は無くなっていた。 足腰は普段歩かないため、弱り細くなった。 転けることが増えた。 しかし、母は酒をやめなかった。 足が悪い、歩けないのは何かの病気のせいよ!頭が可笑しいと言い張った。 「歩かないから筋力が落ちただけよ。筋力つけなきゃ」と云えば「じゃああんたは病院にも連れていってくれない!なにもしてくれない」と言った。 母は手術後、3ヶ月に1度程、街にある病院へ通院していた。一人でバスに乗り、帰りはデパートで買い物をして帰っていた。服を買ったりデパ地下の食料品を見たり。 病院の通院もなくなり、ふとデパートに行きたいと思っても「歩けないな…」と思い一人デパートへ行くことさえ諦めるようになっていた。 朝起きてからもずっとベッドの中。 たまに家の掃除をするとは言え、毎日ではない。掃除機を5分かけたら座らないと立ってられなくなる。 キッチンにはたまにしか立たない。料理は好きな母だったが食べてくれる人が居なければ作る理由はない。 自分が食べたいものを調理するだけ。 動くのはトイレとお風呂。それ以外はベッド上。 足腰が弱らないわけがない。 たまにの息抜きの銭湯やデパートには行けない。 買い物は、わたしが時間の空くときに連れていかれるだけ。 母の精神は更に狂うのだ。 わたしが実家に立ち寄り、罵倒されなかったことはほとんどない。いつもイライラしている。 そんな母の状況を分かってはいても、母の理不尽な物言いを黙って受け入れられる精神をわたしも持ち合わせてなかったのだ。わたしも正直、幼い二人を抱え毎日生活は大変だったから。余裕がなかった。 姉妹がいないから? 親戚は密に連絡し合う仲じゃないから? 友達にはそんな話できないから。みっともない。 相談相手はいない。 わたしは母の毎日の罵倒に孤独に耐えた。
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