第四章 毒親からの解放のために。

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北海道へまた行きたい。とよく母が言っていた。 腹が立つことばかりなのに、やはり親だ。その事が気になってしょうがなかった。全てを見捨てることがどうしても出来なかった。 子供たちが小学校に上がる前にと、2泊3日で旅行を計画し子供たちと4人で北海道旅行に行った。 北海道に着いてからはバスツアーだったこともあり、わたしの目もありか2泊3日、母はお酒をほとんど飲まなかった。 お酒を飲まないシラフの母、夜になり少しお酒が入りほろ酔いの母と話して、笑い合った2泊3日はたまらなく楽しかった。 あの、酔った時の鋭い目付き、独特な雰囲気がなく明るく生き生きした母だった。 孫を可愛がる、優しい祖母だった。 わたしは、あの旅行を決して忘れない。 母子家庭で辛くても苦労しても頑張ってお金を出して良かったと思えた。なにより、母といろんな話を穏やかにできた事が一番楽しかった。 しかし、こんな楽しかった旅行も、泥酔してわたしに罵倒している最中には「あの北海道だってね、あんたの顔色伺って酒も飲めなくて、少しも楽しくなかったわ!」と言い放ったことがあった。 母にとってはそうだったのか… わたしは泣きながら言った「わたしは楽しかったよ。お酒飲んでないママが好き」母の罵声は止まらない。 悔しくてたまらない。 母の中には悪い記憶しかよみがえらない。 気持ちの抑えが聞かないのだ。 旅行中に撮ったDVDを孫と見ては「楽しかったねー」と話している姿を見たことがある。 勝手な憶測だが少なからず私に感謝もしてくれていたのかな。素直になれなかったのだろうか。 気はがつけば嫌なところばかりが目につき、嫌なことばかり言ってしまう。「はっ!」としても、もう後には引けずそのまま怒りをぶつけてしまう。少し後悔してたかな。 よく、喧嘩をし実家を飛び出し家に帰ると電話がなった。 さっきの怒りを捨て台詞の様に吐き散らかし、一方的に電話を切ることもあれば、ごめんねを言うわけでもなく何もなかったかのように「明日買い物つれてってくれなーい?」と他愛のない話をしてきて、さっきの話をなかったかの様にしてくる事があった。 その時にわたしが「さっき何があったか覚えてないの?」と口答えなどしようもんなら「せっかくわたしが仲直りのきっかけあげてるのに。バカな女ね。はい!さよなら。」と一方的に電話を切られる。 わたしも精神的に限界だった。夜、母といる時間を減らすため、実家では食事はしないようにし、仕事の預かってもらう時以外は極力実家には行かないよう心がけた。 勤務の調整もしてもらい、あまり預けないでいい環境を作った。
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