89人が本棚に入れています
本棚に追加
/68ページ
みすぼらしい父、身なりはひどい。
どこでもテレビのCMなど耳につくものは鼻唄や大きな声で独り言をいう。
車はないから歩くのだ。
休みは決まって、近くにスーパーはあるのに、あの店はどーだーこーだー言い3キロほど離れたスーパーまで歩いて3人で行く。肩にはリュックを背負い。
買う食料が大量なため、持ちきれないからだ。
帰り道はぱんぱんになったリュックを背負い、両手にはぱんぱんに詰められたスーパーの袋を持つ。
たまに、帰りにラーメン屋に行く。
子ども向けのレストランなんて行ったこともない。
夕ごはんの外出は決まって居酒屋。レストランはお酒がないから。
それらが全て恥ずかしくて恥ずかしくて。行きたくなかった。「行かない」と言えば殴られた。蹴られた。
母に「謝りなさい」と言われるループ。
何の楽しみがあるんだろう。
自分が欲しい!と思うものは与えられず。
両親の好みで買い与えられたものを食べ遊ぶ。
勉強はしなくても怒られはしなかったが構わないから、勉強の仕方もわからないわたしは頭も悪い。
集中力も持てない。今思うと何かしらの発達障害がわたしにあったのかもしれない。
両親がパチンコ屋にいる間は1000円ほど与えられ、何本もジュースを買い飲み、駐車場で1人自転車で遊んでいた。同じような子供は当時、たまにいて一緒に遊べるのが楽しかった。
今思うと当時から母はアルコール依存症だったのだろう。母は飲むと当たりが激しくなり暴言を吐く。
そんなある日のこと泥酔した母が言った。
「あんたには姉ちゃんがいるんよ!おねえちゃん!」置いてきたっきり会ってない母の第一子の事を言っているのだ。
小学4年生のわたしには到底理解は出来ず、ショックを隠せず泣いた。今まで一人っ子だと育てられた。母の愛情はわたしに全て注がれてたはずなのに。
理解不能とやきもちと。これからどうなるのかの不安の中母は
「お姉ちゃんいるんよ!喜ばないの?なんでよーー!!!」と魔法瓶のポットを飾ってあったガラスケースの博多人形に投げつけた。
ポットの魔法瓶もガラスも飛び散った。
母はほどなくして寝室に行った。
初めて死にたいと思った。助けてくれる人はいないのだ。
こたつのコードが見えた。これで首を絞めたら死ぬのかな。
首にコードを回したが死に方がわからなかった。怖かった。
翌日、「ごめんなさい」をわたしが言う。
「ママの気持ちをわからなくてごめんなさい」
あぁ、わたしには母しかいないんだ。
母がいなくなったら生きてはいけない。
最初のコメントを投稿しよう!