〔5〕診察室、その2――桃井杏

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 見ると、烏鷺の額にうっすらと苦悩の色が現れているのが分かった。  ああ、そうか。と杏は思った。今までの烏鷺の言動がすとんと胃の腑に落ちていくのを感じる。それはマンガの取材中、杏が密かに感じていたことでもあった。 『医者はたくさんの――そして時に多すぎるほどの――病気に関する情報を持っている。一方、患者のほうはほとんど情報を持っていない。両者の間には深い深い溝がある。だがこの溝を埋めるのは不可能だ。複雑な専門知識をたった数分間の診察時間で素人に伝えることなどできないからだ。だから医者はあきらめる。そして患者は「どうせ聞いても分からないから」と医者に丸投げする。結果、医者はたとえ冷酷に見えようとも、まず、”結論”から話すことになる――』  それが今回の杏の場合は「要は気にしなければいいんです」という言葉だった。 「今の桃井さんの症状は病気ではありません。検査データを見てもそれは明らかです。なので、今くらいの症状なら、僕は薬を飲むことをお勧めはしません。気にしないでいられるならそれが一番いいんです。ただ、それでは不安だということであれば、ひとつ――これも心がけの話ですが、方法があります。それはできるだけトイレに行かないことです。膀胱の筋肉は鍛えることはできませんが、できるだけ尿を溜め、そして完全に出し切るという動作を繰り返していけば症状が改善するかもしれません。ただ、これもやりすぎれば、病気につながってしまいます。さきほど言った腎臓病です。すべてはほどほど、臨機応変が大切です」
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