〔5〕診察室、その2――桃井杏

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 けれど、医者は無情にもこう言った。  ”その症状は妄想だ。気にするな”  まずは冷静にならなければ、と杏は思った。  膝の上で握った手を見ながら、ゆっくりと息を吐く。  仕事で問題が起こったとき、杏は、よくこうして気持ちを落ち着けていた。人は心理的に追い詰められると反射的に息を吸おうとするものだ。だがそういう時は吸うよりもむしろ吐いたほうが効果的だという話をどこかの本で読んだからだった。  それから静かに自問した。 (わたしはここに何しにきたの?)  ――そんなの言われなくても分かっている。わたしはこのお腹の不快感を解決するために来たんだ。だからここで「そうですか。妄想ですか」と引き下がるわけにはいかない。わたしはこの苦しみを解決したい。いや、たとえ”解決”と言えるほどスッキリしたものではないとしても、なんらかの”対処法”を知りたいと思っている。でなければ、わざわざここに来た意味がない。  そこで杏は、 「問診票のスペースが狭すぎて書けなかったんですが……」  と、2週間前から自分の身に起こったできごとについて、詳しく話し始めた。 「症状は徐々にではなく、2週間前に突然始まりました。まずは排尿時と常時続く不快感です。酷くなると、我慢できないくらいになります。今まで3回くらいですが、そういうことがありました。夜中のことです。5分おきにトイレに行かないといけないくらい酷かったので、苦しくて、苦しくて、全身に冷や汗をかきました。イライラしましたし、おかげで寝不足にもなりました。そのときの値を10だとすれば、今は2くらいに収まっていますが、またあの切迫感に襲われるかもしれないと思うと不安です。さっき先生は気のせいだと仰いましたが、気のせいじゃありません。そうじゃないんです」  話しながら顔を上げると、驚いたことに、烏鷺はパソコンではなく杏の顔を見ていた。意外な展開に思わずぎょっとなる。が、烏鷺はそんな杏の表情などお構いなしに、今度は、 「確認したいんですが、残尿感じゃなくて、切迫感があるんですか?」  と聞いてきた。烏鷺は検査データと問診票からは分からない、なにか大事な情報を――それがなんなのか、杏には分からなかったが――探ろうとしているようだった。最初のうち、杏は烏鷺の真意が読めず、ぽかんしていたが、すぐに、 「残尿感と切迫感ってどう違うんですか?」  と聞き返した。
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