第3話

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第3話

 共に一緒の時間を過ごすようになれば、少しずつ変わってくるものもある。  発情期以外での綾人は、家のことを手伝うようになった。 「迷惑かけてばかりで、お礼にすらならないけど……俺に、家のことさせて?」  願い出たのは綾人からだ。  昂は、別に迷惑だと思ったことは一度もない。  それに、番を解消されて、ある意味自由になったのだから好きに過ごしてくれてよかった。社会復帰は難しくとも、気分転換で近所を散歩するなど、綾人の過ごしやすいように過ごしてほしいと思う。 「迷惑とか思ってないから」 「でも……!」  勘違いしてほしくなくて、やんわりと誤解を解いておいた。  それから「本当にそれでいいのか?」と訊けば、綾人は「昂の役に立ちたい」と、なかなかに頑固なものだった。  そういうことであれば、無理に駄目だと否定するわけにはいかない。綾人がそうしたいのであれば、その意思は尊重すべきで、昂は「わかった」と素直に受け入れた。 「よかった」  安心した表情を見せる綾人に、昂は眉を八の字にして笑みを浮かべた。 「だけど、無理はするなよ」 「うん。大丈夫」 「その大丈夫が心配なんだ」 「心配しすぎだよ、昂は」  解消されたことで精神的ストレスが大きく表に出ない綾人は、不幸中の幸いというべきか――人によっては、大きな苦しみにもなる。  だが、先日魘されていたことを思い出す。  普段は平然を保っていても、本当は苦しくて、悲しみの底から抜け出せなくなり、先日のような魘されかたをしてしまう。  その穴を代わりに埋めてあげたい。  想いが伝わらなくても、今の関係だけでも十分に幸せだ。 「綾人」 「なに?」 「ずっと、ここにいてもいいからな」 「で、でも……! 俺がいたら、昂はいつまでも幸せになれない」 「大丈夫さ。俺の幸せは、俺自身がよくわかっている」  ――そう。よく、わかっている。  人には「その大丈夫が心配だ」と言っておきながら、自分は――である。 「ここにいながら、綾人も自分の幸せになるようなことを見つけよう。……ゆっくりとさ」 「……うん」  もしかしたら、そういう気持ちになれないかもしれない。  それでも綾人には、小さな幸せでもいいので見つけてほしいと願っている。 「たまには、二人で出かけるのもいいな」 「……外に行ってもいいの?」 「オメガだから外に出るな、というルールはないだろ? 好きに生きていいんだ。オメガだろうと、綾人は綾人。ひとりの人間なんだから」 「ふふ……」 「どうした?」 「いや、中学のときにも似たようなこと言ってたなあって……」 「そんなこと言ってたのか?」  昔のことだろうと、それでも本心だ。よく覚えていたなと思いながら、綾人にもう一度「心配するな」と伝えた。 「でも、昂にも、周りにも迷惑かけちゃう」 「そんなの、俺が傍にいるから守ってやる」 「……っ」  綺麗で柔らかい黒髪をくしゃりと撫でる。  柔和な笑みを浮かべれば、綾人は目に涙を浮かべて小さく頷いた。  日常生活を二人で過ごすことは慣れていても、発情期に入ったときはなんだか居た堪れない気持ちになるのはどうしてだろうか。  恋仲な関係でもなければ、ただその熱を慰めるだけの関係に、いつしか綾人のほうが戸惑いを見せるようになってきた。 (……気のせいか?)  そんなことを考えつつ、昂は変わらず綾人の面倒を見ては、発情期の周期を把握して、そのときが近くなれば仕事を休んでまで綾人の傍を離れないでいる。  昂はそれを苦とは思っていないのに、綾人のほうがいつしか思いつめるような顔をするようになった。 (なんだ? ……胸が痛いな)  罪悪感から来るものなのか、綾人の気持ちは、更なる変化を見せた。  二人での生活リズムは悪くないはずだ。  ――発情期を除けば。  昂の役に立ちたい、と言って家のことをして、ご飯を作って帰りを待ってくれる。 「ただいま、綾人」 「おかえり、昂」  玄関で迎えられながら、昂は荷物を綾人に預ける。  こういった少しのやり取りが擽ったい。 「ご飯できてるけど、お風呂とどっち先にする?」 「んー……」  エプロン姿の綾人を眺めながら思案する。 「折角作ってくれたんだ。先にご飯にしよう」 「……! うん!」  用意するね、と言って、嬉しそうにキッチンへ消えていく綾人の背中を見守りながら昂は微笑んだ。 (見慣れてるはずなのに、綾人のエプロン姿はいつ見ても可愛いな)  自分の嫁だと、勝手に勘違いしたくなる。  番でもなんでもない、ただ熱を慰め合うだけの関係なのに。  そう考えると、虚しくなってきた。  預けた荷物はリビングにあるソファに置いてあり、ダイニングテーブルには温かい料理が並べられていた。 「今日もおいしそうだな」 「たいしたものじゃないよ」 「そんなことない」  同じことを毎日やり取りする。  そうは言うが、綾人は一切手抜きをしない。どれもおいしそうな料理に、昂は涎を垂らしそうになった。  ご飯をよそい、二人分が用意されれば、二人揃って手を合わせて「いただきます」と食べはじめた。口の中に入れて咀嚼し、味わう。綾人の作った料理はどれもおいしい。 「……うん、おいしいな」 「ありがとう、昂」  照れくさそうに言う綾人もいつものことだ。 「そういえば、もうすぐだよな」 「……え?」 「発情期」 「……あ」 「こら、忘れるな」  食事のときに訊くような内容ではないが、忘れないうちに言っておいたほうがまだ安全だ。  いつもなら綾人のほうから「あのさ……」と切り出してくれるはずなのに、今回は珍しく切り出すことがなかった。 「休み申請を出しておくから」 「……いつもごめん」  三ヶ月に一週間ほど休むことは、今にはじまったことではない。  だから、こんなことで綾人が落胆する必要はないのだ。そんな顔をするな、と言っても、綾人はひとりになったとき、自己嫌悪しているに違いない。 「謝るなよ」 「……昂」 「綾人のほうが辛いんだ。それに、謝られるより、ありがとうと言ってくれたほうがいいな」  今更、遠慮するのもおかしい。 「……そうだね。ありがとう、昂」 「ああ。それに、俺が好きでやってるんだ」  これは、本当のことだ。  好きで綾人のことを抱いている。発情期を利用しているとはいえ、綾人のことを今でも想っている。  いくら義務的なことだと思われようとも、少しでも綾人に残っている傷を癒してあげたかった。  例え、発情期に抗うことができなくとも、番になれなくても。  好きな人に触れられるこの瞬間はとても嬉しいはずなのに、終わったときは虚しさだけが襲いかかってくる。  この行為に意味がないなんて、嫌でもわかっている。  だが、繋ぎとめておきたい。  綾人には、幸せになってほしいと願っておきながらこれだ。 「っ、はぁ……大丈夫か?」 「んっ」  触れるだけで、いつも以上敏感になっているのは、発情期におけるものだろう。頬をスッと撫でるだけでも、全身が期待に満ちて震えている。 「水持ってくるから、ゆっくり休め」 「ん……ありがとう」  頭を撫でて部屋を出る。  キッチンへ行き、冷蔵庫からペットボトルに入っている水を取り出してグラスへと注いだ。綾人の部屋に戻れば、ベータの鼻でもオメガのフェロモンが僅かにだが鼻孔を掠めた。  だが――。 (……最近、匂いが強くなってないか?)  オメガのフェロモンは、ベータを魅了することはない。  それが今、いつもより強い匂いがベータである昂の鼻でも感知している。ベータでなくアルファであれば、この部屋は危険なものになってしまう。 (俺がアルファだったら、ヒートになるのも時間の問題だっただろうな)  苦笑しながら、横になっている綾人に近づき、背中に手を添えて上半身を起こした。 「水、持ってきたぞ。飲めるか?」 「……ぅん」  意識がふわふわとしているのか、どう考えても綾人自ら飲める状況ではないと悟り、水を口に含めばそのまま唇を塞いだ。 「ん……んくっ……」 「……苦しくなかったか?」 「だい、じょうぶ……」 「ならよかった。まだ水いるか?」 「あと、すこし」 「自分で飲むか? それとも、また俺が飲ませるか?」  綾人の唇を指で撫でてやれば、頬を染めて「じ、自分で飲める!」と昂からグラスを奪い取った。  こく、こく、と喉を鳴らしながら水を流し込む。  結局、注いだ水は全て飲み干した。  綾人からグラスを受け取り、サイドテーブルへと置く。 「今はいいが、再び熱に魘されるはずだ」 「……ん」 「落ちついた今のうちに、ゆっくり休め」  欲に支配されようとも、欲を吐き出そうにも、とにかく発情期中は体力を使う。  それを約一週間だと考えると、ある意味オメガは強い人間だと思う反面、抗えないことに対して切なくなってくる。 「――昂……」 「なんだ?」  サイドテーブルに置いたグラスを片づけに行こうとベッドから立ち上がれば、綾人に名前を呼ばれ引き止められた。そのまま座り直し、昂は横になった綾人の顔を見る。  疲れて、眠たそうにしている綾人を優しい視線で見つめる。  昂の名前を呼んでから、なかなか言葉を発さない綾人に苦笑し、昂は「なにもないなら、グラス片づけてきてもいいか?」と伝えた。  すぐに戻ってくるから――と、ひと言添えて。 「……ぁ」 「そう不安そうな顔をするな。すぐ戻ると言っただろう。シンクに置いてくるだけだ」  それでも不安気にしている綾人に、昂は明日起きたときでもいいかと胸に問いかけながらベッドの中に潜り込んだ。 「……え?」 「え、じゃないだろ。行ってほしくなさそうな顔をしてたぞ」 「べ、別に、俺、そんな顔なんてっ」 「わかった、わかった」  可愛いなと思いながら、昂は綾人を抱き寄せた。腕の中で寝返りを打ち、背を向ける綾人。背中から伝わってくる綾人の温もりを、お腹から感じた。 「どうした?」  優しい声音で尋ねる。 「……昂は……」 「ん?」 「……昂は、負担になってない?」  ――迷惑の次は負担か……。  昂と一緒にいる限り、綾人につきまとう罪悪感。 「負担? なんのだ?」  言いたいことはわかっている。  だが、それをあえて言わず、綾人に言わせるように促す。 「……いくら友達でも、こんな……せ、性欲処理みたいに使うような真似……」 「それを言い出したのは俺なんだからいいんだ」 「でも……」 「それとも、ひとりでどうにかできたのか? 不安定で、抑制剤も効かない身体で。発情期の度に苦しむんだぞ」  ――一週間をひとりで、どうにかできるわけないだろ。  綾人はぐっと、唇を噛みしめた。  例え、発情期が三ヶ月に一度というサイクルだとしても、番に解消されたオメガに逃げ道はないのだ。  これまでも似たような問いかけに、何度も「気にしすぎだ」「俺が好きでやっている」と言っているにも関わらず、綾人はなかなか納得してくれないところがある。 「俺は、綾人のことが心配だ。放っておけないから、傍でこうしているんだ」 「……うん。だけど、このままだと、昂はずっと俺に縛られてしまう」 「まあ、俺はこのままでもいいと思ってるけどな」 「え?」  つい、本音が零れそうになる。  番にすることはできないが、一緒にいることはできる。  綾人に運命の番が現れるまでは――。  それまで、綾人を独占したい。 (少しでも、夢を見させてほしい)  あとどれくらい、綾人と一緒にいられるのかわからないのだ。 「負担にもなにもなってないから心配するな。それに、俺は誰かと一緒になることなんてない」 「なんで?」 「……好きな人がいるからな。これでも」 「……! それなら余計に……!」  顔だけを振り向こうとする綾人の髪に、昂は顔を埋めて阻止した。  振り向かれたら困る。今、綾人のことを想いながら喋っているのだから、顔がとてもじゃないが緩んでいる自覚がある。それを見られないためにも、昂は身動きが取れないようにがっちりとホールドして抑え込んでいる。  自分から言っておいて、なんだか恥ずかしくなってきた。 「ほら、疲れてんだから、早く寝ろ」 「で、でも……」 「でも、じゃない」 「う、うん」  急かすように促し、昂は綾人を抱きしめたまま、無理矢理に目を瞑った。先に目を瞑り静かにすれば、綾人も一緒になって眠りにつくだろう。 「……おやすみ、昂」 「おやすみ」  抱きしめたまま、昂はそのまま夢の住人となった。  一緒に暮らし始めて、もうすぐ二年の月日が経つ。  相変わらず発情期にもがき苦しむ綾人と、その発情期を落ちつかせるために綾人と身体を重ねる昂。 「身体、辛くないか?」 「ん……大丈夫。ごめんね、……ありがとう、昂」 「だーかーらー、何度も言わせるな」  頬を抓れば、痛い、と訴えられた。  小さくため息を零せば、綾人はびくりと身体を震わせた。怖がらせたかったわけじゃない。  昂はがしがしと頭を掻く。 「――もう、この関係は嫌か?」  この言い方は卑怯だと思う。  綾人に答えを出させるような、この物言い。  この関係が終わってしまえば、綾人とも一緒にいる意味がなくなってしまう。  綾人がひと言「もうやめたい」と言えば、終了だ。 「綾人」 「……俺は、……」  困らせるつもりは毛頭ないはずだが、こうも悩まれると苦笑したくなる。肩を竦ませながら、冗談だ、と言って綾人を安心させた。  冗談と聞いて、綾人はホッとする。 「この先もずっと苦しむんだ。……それに、綾人が気休めに抑制剤を飲んでいること、実は知ってる」 「……!」  番を解消されたオメガは抑制剤が効かない。  それを、少しでも自分ひとりでなんとかしたくて、隠れて処方していたことを昂は知っていたのだ。  この家の主は昂だ。綾人が発情期になったとき、部屋のごみ箱にティッシュを捨てようとして目に入った。恐らく、薬が入っていたであろうフィルムの残骸。それだけを頼りにネットで検索をすれば、そのフィルムは抑制剤だということに辿りついた。  効かないとわかっていても、気休め程度に処方していたのだ。  隠さなくてもいいのにと思いながらも、昂は本人に直接訊くことはしなかった。 「効かない薬を飲んでも、意味がないってわかってる」 「ああ」 「でも、俺は……」 「なら俺は綾人を助けるまでだ」 「昂……」  ――ごめんね。ありがとう。  もっと迷惑かけてしまうね、と悲しそうに言う綾人を見ては、胸が締めつけられた。  綾人は、これまでも、これからも、昂のすることに対して、義務的なものだと思ってしまうだろう。 (それでも、俺は綾人のことが好きだ)  身体も心もすれ違う。  ずっとこのままでいるのが辛いのであれば、綾人のために運命の番を見つけたほうがいいのだろうかとさえ思うときがある。  そうすれば、発情期に悩まされることはない。  幸い、まだ出会っていない。  独特な匂いで運命の番と判断できるらしいが、どういったものなのかは昂も知らない。 (……ベータだから、当たり前か)  なんて思いながら、昂は自嘲する。 「なにかあれば、遠慮なく言えよ」 「……わかった」 「無理も我慢も駄目だからな。きついときは頼れ。お前が最初、俺を頼ったときみたいに」 「……うん」  なんだか様子のおかしい綾人に、ジッと見つめた。 「昂? 俺の顔になにかついてる?」 「いや、別に……」  変なの、と言いながら、ふっと笑みを浮かべる綾人を見て、心の中にある変化を気にしていた。  ほんの微かな変化ではあるが、綾人に纏っているオーラがなんだか違う気がする。 (……フェロモンか?)  いつもとは違う匂いが、昂の鼻孔を擽る。 (なんだ?)  その匂いだが、実は約一ヶ月ほど前から感じていた。  今までこんなことなかったはずなのに、それは突然やってきたのだ。だからといって、戸惑うこともなければ、騒ぎにするほどでもない。  もしかしたら、たまたまかもしれない。  そう思い、昂はいつも通りに過ごしていたが、次の発情期にいつもとは違う感情が昂を襲った。  ――支配、したい。  どく、と胸の奥底から這い上がってくる感情。  息を荒くして「ふー、ふー」と吐きながら、昂の下で綾人の身体が乱れていく。  部屋に立ちこめる匂いも、なんだかいつもと違う。 (いつもより甘い……?)  昂に変化がきたのか、それとも綾人に変化がきたのか――それはわからない。ベータである昂が反応を見せるほど、オメガのフェロモンが濃いだけなのか。  全くわからない。  だけど、確実に、少しずつ、なにかが変わろうとしている。 「っふ、……いつもより、なか、熱くないか?」 「しらっ、な……!」 「気のせいだったら、別にいいんだが」 「そん、なのっ、昂が知って……ぅんあッ」 「まあ、確かにそうだよなっ」  思わず苦笑した。 「ん、んぁ!」  オメガのフェロモンに包まれながら、昂は腰を突き入れて綾人の身体を揺さぶっていく。 (――……やっぱり、なにかが違う)  今はセックスに集中したいはずなのに、気になって仕方がない。  理性と現実の狭間でよく考えられるなと自分でも思ってしまうが、得体の知れないものに、昂は翻弄され続けた。  結局、原因はわからず――かといって追究することもなく、自身がベータなのに変わりないのだからと己に言い聞かせた。  でもやはり、時折感じる微かな甘い匂い。  外では、その甘い匂いを感じることはないのに、家の中で鼻孔を擽る匂い。どう考えても、オメガから出ているフェロモンとしか考えられなくなってくる。  それが、はっきりとしたわけでもない。 「変なこと訊いていいか?」  家事を終えて、ソファでゆっくりと寛いでいた綾人に、仕事から帰宅してきた昂は尋ねた。 「香水、つけてないよな?」 「香水? つけてないよ。香水は匂いが駄目だからつけないんだ」 「……そうか」  これを訊いたところで決定打にはならないが、少しずつオメガである綾人からの匂いを感じてしまっている昂は、どうしたものかと戸惑った。  匂いを感じ取ったからといって、日常に支障が出ているわけではない。  ただ、アルファでもないのに、微量のフェロモンを感じ取ってしまうことが不思議でならなかった。 (――……いや、まさか……な)  杞憂であってほしい。  それに、そんな前例があるなんて聞いたこともない。  そもそも、綾人にはなにも感じず、昂にだけ変化が見られるのもおかしな話だ。  一度、機関を受診したほうがいいのだろうか。 (……いや、そこまでする必要があるのか?)  自問自答する。  もしかしたら、一時的ななにかであり、しばらくすれば消えているかもしれない。 「――ねえ」 「ん?」  完全に、ひとりでぐるぐると思考を巡らせすぎた。 「逆に、昂が香水つけてるんじゃないかなって思ってたんだけど……」 「俺が?」 「うん。数ヶ月前から……かな。微量だけど、微かな匂いがする」  ――違ったらごめんけど。  そう言って、綾人は「そんなわけないよね」と、曖昧な笑みを浮かべた。  思わず目を見開いた。  綾人も匂いについて感じていたのだから。 「俺も、綾人と同じで香水は駄目だ」  昂からすれば綾人が、綾人からすれば昂が――匂いが出ているとお互いに思っている。 (ベータから匂いが出るわけない)  自身のフェロモンと勘違いしていないだろうか。 「そっか。俺も変なこと訊いてごめん」 「いや。それよりなんだろうな。綾人でも感じ取れる匂い……」 「うーん……俺もわかんないや」 「だよな」  苦笑するしか他ない。  お互いに原因がわからないまま、突然出てきた匂いの話題は日数が経つにつれて自然と消えていった。  そして、綾人がなにか気持ちを抑えているということに、昂はこのときまだ気づかないでいた。
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