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「知らない」
わたしがそう答えて首をふると、彼はなんとか原っぱをうまく説明しようと身振りと表情をくるくるとさせてくれたけれど、満足がいかなさそうに頭をひねってわたしを振り返った。そして、
「じゃぁ、今日の帰りに案内しますよ」
「え?」
「裏門前で待ち合わせ」
そのまま肘を見て血が止まっているのを確認すると、跳ねるように立ち上がって「ありがとうございました」と人懐っこい笑顔を浮かべるとあっという間に練習に戻って行った。さわさわと揺れる梢の音が消えるまで、わたしはそのまま耳をすませていた。
それだけだ。
それで終わりだった。
結局、わたしは裏門にはいかなかった。部活に戻った時も、片付けをしている時も、着替えている時も常に彼の一部がピタリとわたしに張り付いているような気がして、こそばゆいような、恥ずかしいような、1秒だってじっとしていられない気分になっていた。本当に裏門に行ったほうがいいのか、それともただのからかいなのじゃないかな、逡巡する自分の中では永遠に答えが出ないとわかった。だからわたしは同じ部活の女の子たちに、クレープを食べに行かないか誘ってみた。華やかな笑い声に囲まれながら正門に向かう途中でほんの一瞬だけ裏門に向かう細い通路を振り返った。しんとしていた。
それで終わり。だからこの記憶だけは信じられる。何度も取り出して眺めている思い出ほど、どんどんツヤツヤと輝いていくけど、そこには実際には経験していない誰かの思い出だったり、夢で見た理想だったりがワックスのようにちょっとずつ加えられて、小さな傷やへこみはまんまるの形を保つためにどんどんうめられていく。
去年の文化祭の思い出をみんなで話していたって、人気の先輩にパンフレットを手渡したのが誰だったなんてどうでもいいことで少しずつくいちがう。みんなちょっとずつ理想系に記憶を日々修正しているのであれば、大人になったら嫌なことなんて全部忘れちゃうんじゃないだろうか。
それが幸せなのか寂しいことなのかはまだわからない。
わかる人なんてきっといない。
橋の真ん中で歩いて来た道を振り返る。ほんのりと空が色づき始めていて、だいぶ遠くに見える土手の上でスーツを着た男の人がぼんやりと空を見上げていた。お腹も空いて足が疲れてきた。わたし何をしているんだと思ったけれど、ちょっとくらい人生に無駄な時間があっても悪くないはずだ。大人だってたまにはあんなふうに空を見上げたりするんだから。
ジャリジャリとした岸辺を歩いて学校につながる道の前の土手を這うようにのぼる。あっち側よりも雑草が多くて、草の中を進んでいるという感じだった。割れたビール瓶やタバコの吸殻が落ちていて、帰りは別の道を通ったほうがいいかもなと思う。でも、川沿いが彼の通学路だとしたらこのどこかにRustlingにふさわしい原っぱがあるのかもしれない。その辺りをもう少し探検してみようかと思ったけれど、やっぱりまずは中学校に行ってみることにした。
土手から降りて1本先の道に出たとたん、ふいによく知っている景色が現れた。ほんの2年前までは私も着ていた制服を身につけた中学生たちがざわめきながら通り過ぎていく。中学校に向かう途中に会話の断片がさわりと聞こえてあっという間に聞こえなくなっていく。こう言うのもRustlingというのだろうか。
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