さらさらと

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 あれから彼と特別な話をすることはなかった。もう1度チャンスがあったらRustlingの原っぱのことを聞こうと思っていたのに、体育倉庫は秋に向けて賑わいを増し、彼と2人で話すことはないままわたしはいつの間にか部活に行かなくなった。それでも、彼はグラウンドや廊下で会えばぺこりと人懐っこい笑顔で会釈をしてくれた。「先輩」というのはそれだけで得だなと思った。ただそれだけでうっすらとした関係がつながるのだから。何度か陸上部の練習を見に来たふりをしてグランドをのぞいた。いつの間にか、大勢のサッカー部員の中で彼の姿をすぐに見つけることができるようになっていた。  中学校は何も変わっていなかった。他校の制服を着たわたしを興味深そうな目で見ていく生徒は何人かいて、わざとらしく「懐かしいなぁ」みたいな表情でキョロキョロして歩いて見せた。そして、グランドが見えてきたあたりで足を止めた。現実の空気のようなものがわたしの足元からゆっくりとのぼってくる。「陸上部を見に来たふりをする」なんて昔やっていた手段が使えないことに気づく。むしろ、陸上部の後輩にだけは会いたくないと思った。誰も知っている人がいない限りは「昔を懐かしんで訪れた先輩」のふりをできるけれど、実際に知り合いを目前にしたらそうもいかない。そもそも、わたしは後輩の練習を卒業してまで見に来るような熱心な先輩なんかじゃない。演じる自分と実際の自分のギャップがみるみると広がっていく。  小さな粒のようにグラウンドを走り回る色とりどりの生徒達。あの夏に感じたよりも大きな膜で覆われた遠い世界に見えた。あの中で走り回っているかもしれない彼の姿も見つけることができなかった。  帰ろう、そう思った時にひときわ華やかな笑い声を持つ女の子達とのびのびと広がった男の子達の集団がわたしの横を通り過ぎて行った。ちらりとわたしをふりかえった1人の男の子の顔に見覚えがあった。その男の子達の中では小柄なその子は、サッカー部にいた彼の相棒だった。そして、誰よりも大きな声で何かを話して女の子達を笑わしている男子生徒は、背が伸びてはいるものの間違いなく彼だった。華やかな女の子達に腕を掴まれたまま、彼は正門の方に歩いていき、大通りに消えていった。  帰り道、土手の上に上がるとちょうど夕焼けの最後の光が川を輝かせているところだった。川の光が反射して、川辺は明るく輝いていた。その分、影も濃くなり、岸辺に落ちていた瓶やタバコの吸殻は影に吸い込まれて見えなくなっている。ゆるい風が草花をさらさらと揺らして通り過ぎていく。わたしは目をつむって耳をすます。Rustling。さらりと流れる風の音が確かにこの言葉にふさわしかった。  きっと彼はもうささやき声を忘れてしまったから、せめてこの瞬間の音色をわたしの中にしっかりと閉じ込めておきたいと思った。
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