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「おや? 玄白様じゃないですか? こんな夜更けに何の御用ですかね?」
彼の目を恐る恐る見上げる。そこには恐ろしいほどの闇が渦巻いていた。
「あ……。いえ、何でもありません。私はただ……ここを通っただけで」
「お一人で……ですか? 黒芭様はご一緒では?」
「いえ……」
一瞬もぶれることなく玄白を見つめる男の目から逃れようと、目をそらし思うように動かない足を前に進めた時だった。
不意に二の腕を掴まれ、男の胸に倒れ込むようにして囲われた。
「――聞いていたんでしょ? 今の話……」
耳元でザラリとした嫌な声が響く。それと同時に銀色の長い髪を乱暴に掻き上げられ、小ぶりな耳朶を甘噛みされた。
「ひぃっ!」
あまりの恐怖に全身が粟立ち、膝がガクガクと震えた。男は執拗に玄白の首筋に顔を埋め、鼻息を荒くしていく。
「離れなさい……。これは神への冒涜ですよ」
「冒涜? そう言えば神様は何をしても赦されるってことですかい? 黙って人の家の前で立ち聞きすることも……」
「それはっ」
「俺ぁ、知ってるんですぜ。あんたが元は人間だったってこと。うちの爺さんから耳が痛くなるほど聞かされてきたからなぁ……。人間だったってことぁ、そういうこともしてたってことだろう? なぁ?」
代々続いている蛇神守の血族。この村の鎮守である玄白や黒芭のことは代が変わるごとに語り継がれていく。
それが蛇神守の務めであり、後世に繋ぐ唯一の手立てだった。
だから、この男が知らないはずがない。玄白はもともと自分らと何の変わりのない人間だったことを。
「そういうこと……とは?」
「分かってるくせに……。黒芭様とも楽しくやってるんでしょう? 蛇のアレは人間と比べて具合がいいんですかい?」
下卑た笑いを浮かべながら着物の襟元を乱す男の手を振り払いながら、玄白は精一杯の力で抗った。しかし、華奢な体を押えこんだ男の体格は大きく、到底叶う相手ではなかった。
「無礼者っ! この手を離しなさいっ」
強い口調で声を上げた玄白を面白そうに見下ろした男は、家の中にいた数人の仲間を呼んだ。
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